ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

中条省平『カミュ伝』(インターナショナル新書)

最近出版されたばかりのカミュの評伝。

著者は100分de名著で『ペスト』を紹介した中条省平氏で、最近光文社から『ペスト』の新訳も出している。

カミュの人生を時系列に追いながら、随所で主要作品の解説が入っている。もう少しボリュームが欲しかったが、新書という意味ではちょうどよいのかな。

僕がカミュに出会ったのは高校生の頃、『異邦人』を読んだとき。おそらく人生初めて文学と呼べる本だったが、この薄さなら自分にも読めると思って手に取ったのだろうか。太陽、海というイメージが若くて新鮮に感じたのだろうか。はっきりとは覚えていないが、ちゃんと読了したのは確かで、大学生のときに再読したときにも内容はうっすらと覚えていたと記憶しているので、印象も強かったのだろう。

『ペスト』を読んだのは比較的最近で、たぶん5年くらい前。その後、徐々にカミュに強くひかれるようになり、新潮文庫で出ている『転落・追放と王国』を読み、全集、手帖と一通り手に入ったのが2019年。2020年はカミュが亡くなってから60年ということで、全集を読むぞと心に誓ったものの、コロナ禍になったことも影響して、まだ進んでいない。進捗としては数か月前に読んだ『幸福な死』くらい。 

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さて本書。全体的にボリューム感には欠けるが、カミュが残念ながら若くして亡くなっているので仕方ない面もある。ジャーナリストとしての経歴。レジスタンスとしての密かな生活。だらしなかった女性関係。生涯を通じて付き合うことになる結核との闘病生活と死の意識。演劇人としての活躍。人間関係とサルトルとの決別など。入門としては十分な内容で、非常に読みやすい。コロナ禍で『ペスト』を読んで初めてカミュにふれたという層も多いだろうから、タイミング的にもちょうどよい。

カミュは文学者として優れているのはもちろんなのだが、個人的に強く惹かれるのは、サルトルと決別した後の不遇と考えられている時期の彼の生き方。カミュモラリストと呼ばれることもあるが、当時あれだけ叩かれ、仲がよかったはずのサルトルからも決別宣言され(本書を読んだ中では、やはりサルトルは大人げなかったと思う。カミュジャンソンを無視してサルトルを攻撃したというミスはあったものの、政治的思想がぶつかったからといって友人関係もやめると公に宣言したのは、どうも子供じみている)、文壇からも距離を置き、孤立を深める中でも、自分の意思を貫いた。あの姿にどうしようもなく惹かれる。不条理に立ち向かうシーシュポスの姿も重なる。

カミュはテロ行為、無差別な暴力に強く反対していた。中途半端な態度だと言われようとも、当時の共産主義革命が呼び込もうとしていた暴力の存在に反対していた。現代から振り返れば、共産革命はカミュの言った通り、暴力が支配するものとなってしまったので、後知恵としてはカミュの言ったことは正しかった。ただ、当時、あれだけの状況で立場を変えなかった。当然、実際はカミュを支持する人々も多くいただろうし、その「孤立」と「追放」がどれほどのものだったかはわからないが、後年の作品を見ると。やはり孤独の中で戦っていた様子が見て取れる。

ロットマン『伝記 アルベール・カミュ』からの引用として、若い友人に宛てた手紙が紹介されていた。少し長いが、強く心に残ったので、以下に引用しておく。

受けいれなければならない孤独というものがあります。しかし、僕は何年にもわたってこの孤独に逆らってきました。僕は、人と人とを隔てるあらゆるものが恐ろしいからです。いまでも逆らっていますが、求めるものを最小限に抑えようと思うならば、この孤独は避けがたいものです。人は、ありのままの自分を、みんなから愛され、認められたいと思います。でも、それは思春期の若者のような青くさい欲求なのです。遅かれ早かれ、人は老い、裁かれ、断罪されることに同意し、愛からの贈り物(欲望、情愛、友情、連帯)を自分の身には過ぎたものだと認めなければならなくなるのです。道徳など役に立ちません。ただ、真理だけが・・・・・・つまり、たえず真理を探究しつづけること、あらゆる場所において、真理を見つけたらそれを語り、その真理を生きること、それだけが、人の歩みにたいして、意味と方向をあたえてくれるのです。

暴力をかたくなに拒否し、共存を唱えたカミュ。隣国を侵略したという過去を持つ日本に住む者にも、彼の姿勢から学ぶことは多くある。

それにしても、若すぎる最期であった。人並みに長生きしていれば、独立後のアルジェリアを見守ることができたし、共産主義革命の暴力的な失敗も実際に目にすることができたかもしれない。