ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

『円』劉慈欣短篇集

三体シリーズですっかりファンになってしまった中国のSF作家、劉慈欣。本書は彼の短編集。

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時系列の順番に並んでいるので、劉慈欣の作風の変化なども楽しめるのだろうが、どれももれなく面白く、やはりこの人は才能の人なんだろうと再認識した。

SFと一口に言っても、テーマは幅広い。鯨、環境問題、宇宙戦争バタフライ効果、円周率、オリンピック、戦争、タイムトラベルなどなど。『三体』にも出てきた秦の始皇帝も短編として読めたのはうれしい。詩人の李白まで出ていて、さすが中華SF!と唸った。

個人的なお気に入りを挙げると「円」「月の光」「円円のシャボン玉「カオスの蝶」あたりだろうか。「月の光」に関しては、自分の妄想(くだらないと思えるこの世界の姿は、実は私たちが持ちうる最適解かもしれない)が物語という形になったような気がして、なんだかうれしかった。

 

映画『共犯者たち』

まだ記憶に新しい朴槿恵退陣とろうそく革命。先日の知床観光船の沈没でセウォル号沈没のときの記憶を揺さぶられた人も多いだろう。その後の文在寅政権も終わり、つい先日新しい大統領として尹錫悦氏が就任した。左派政権からまた保守政権へと戻ったわけだ。

尹錫悦大統領についてはすでにいい話を聞かないのだが、しばらくどう進めていくのか注目。しかし、やはり李明博朴槿恵政権で続いていた言論封鎖の傾向に戻ってしまうのだろうかと不安ではある。

そういえばそんなテーマの映画があったなあと思い出して観たのが本作『共犯者たち』。日本でもたしか上映されていて、行こう行こうと思っているうちに上映終了していた。いつもの流れである。

www.kyohanspy.com

保守政権時代のマスコミ、特に公営放送のKBSとMBCの腐敗を暴いたドキュメンタリー映画で、監督は自身もMBCのPD(プロデューサー)であったチェ・スンホ。権力者、そしてそれに阿るメディアの上層部の暴挙が実際の映像や音声で暴かれている。対象は権力者だけでなく、その手下となって暗躍する「共犯者たち」である。権力の腐敗というのは、韓国映画で頻繁に取り上げられるが、そのようなフィクションの映画に負けない現実があった。

監督のチェ・スンホは映画公開後、文在寅政権時代にMBCに返り咲いている、だけでなく、なんと社長を就任していた。この映画はやはり韓国内では相当の影響があったのだろう。就任後には不当に解雇された人々の再雇用など、再建に取り組んだとされているが、日本語の情報では詳細はわからなかった。

さて、再び保守政権に戻ったわけだが、今後どうなるのだろうか。尹錫悦大統領就任演説に参席していた朴槿恵の姿がとても象徴的にも思えた。どれだけKBSやMBCは「まともな」状態に戻ったのだろうか。

 

海外ドラマ『チェルノブイリ ーCHERNOBYLー』

チェルノブイリ原子力発電所の事故を扱った実話ベースの海外ドラマ。全5回で合計5時間程度と短いが、扱っているテーマがテーマだけに重厚で、見終わった今もなんだか気分は落ち込んでいる。

warnerbros.co.jp

未だに収束が見えないロシアのウクライナ侵攻でもチェルノブイリは話題に挙がっていた。ロシア軍がチェルノブイリ原発を占拠し、その結果周辺の放射線レベルが上がったというニュースがあった。

forbesjapan.com

この記事では、原発に対して破壊行為をしたというよりか、付近を戦車などで走った結果、放射性物質が含まれる土壌が空気中に巻き上がったことが原因である可能性が指摘されている。周辺に来たロシア兵も防護服などは着用しておらず、多くが被曝したと考えられているようだ。

さて、本作では、そのチェルノブイリ原子力発電所の事故の発生から、事故対応、そして真実を明かそうというその後の核物理学者や一部の閣僚による闘いを描いている。ほとんど全員が実在の人物がベースとなっていて、ノンフィクション性が非常に高い。

チェルノブイリ原子力発電所の事故は、その事故自体は当然知ってはいたが、細かいことについてはまったく無知だった。福島の原発事故のときも多く取り上げられたが、そのときですら詳しく調べようと思わなかったのを今更ながら不思議に感じてしまう。福島の情報だけでいっぱいいっぱいだったのだろう。

それにしても内容には驚かされる。ソビエト連邦の閣僚や権力者たちの態度がこれほど酷かったかどうかはわからないが(そもそも制作自体がアメリカとイギリスによるもの)、ある程度実際の姿を表していたとは想像できる。日本の「お役所仕事」とはまた次元の違う駄目さだが、実は今の日本の政治家にも共通する部分があるのかもしれないと思ったりもする。

実は第二の爆発の危険性があり、ホミュックという名の核物理学者の指摘と、レガソフ、シチェルビナらの取り組みによって何とか回避されたシーンが描かれている。ドラマを観ていると、これに気付いたのがたった1人だけだったのかと、本当に首の皮一枚で世界は救われていたのかと驚いたが、ホミュックは架空の人物で、当時レガソフを支援していた仲間の核物理学者をまとめた人格だったようだ。あのような状況でも正しいことをしようとした科学者が多くいたのだろうと、少しだけ救われた気持ちにもなった。

しかし、今更ながらだが、福島での原発事故との共通項が多くて、情けなく、暗い気持ちにさせられる。責任逃れ。ずさんさ。無計画さ。権力志向。犠牲になる地域住民。がん罹病率の上昇(日本の場合はまだ「可能性」だろうか)。チェルノブイリを経験したはずの人類が、また福島で似たような結果をもたらした。私たちはこれをずっと繰り返すのだろう。

最後に俳優陣。主人公のレガソフ役の人はよく知らなかったが、シチェルビナ役の人は『グッド・ウィル・ハンティング』のランボー教授役で覚えていた。相変わらずいい声で、本作でも抜群だったと思う。『グッド・ウィル・ハンティング』で特に好きなシーンがこれだ。品質は悪いがYoutubeで見つけた。いみじくも、この動画をアップした投稿者も「世界の映画史上最高のシーン」という名前にしている(個人的にそこまでとは思わないが・・・)。

www.youtube.com

この苦悩がすごくわかる。自分も若い頃、それなりに一つの分野で何かを成し遂げようと勉強していた時代があった。しかし、そのうちに気付く。自分よりも圧倒的に賢い奴らが存在すること。自分が凡人にすぎないこと。それは努力なんかでは埋められないものであること。おそらくその分野を知らない人から見れば、その差は大きく感じないだろうが、中途半端に知っているだけに、その圧倒的な差(多くは才能によるもの)に絶望してしまう。フィールドメダルをもらっているランボー教授ですら、そのような劣等感を感じていた。その苦悩は、僕のような本当の意味での凡人のそれをはるかに上回るものだったろう。この映画の中では基本的に「嫌なやつ」の役を演じているが、どうしてもこの役が嫌いになれないのはこのシーンがあるから。そして、ウィルのばつの悪そうな感じも抜群だった。また近いうち観よう。

芸人さんと不安障害

上島竜兵が急逝してからはや1週間。その知らせを聞いたときはまさに時が凍ったかのようだった。最初はコロナか、何か重い病気だったのかと思ったのだが、意外な最期にとにかく驚き、すぐに胃が重く感じた。数日はその調子だった。そのすぐ後にちょうど打ち込める仕事が入り、余計なことを考える必要がなかった時期が続いてよかった。出張中の妻からもすぐに連絡が入り、落ち込んでいるのではないかと探りもあった。

これほどショックを受けたのはなぜだろう。思えば、地上波放送は旅行中以外ほぼ見ないので、上島さんの最近の活躍を知らない。最近で覚えているものといえば、Amazonプライムで配信されている『内村さまぁ〜ず』での姿くらい。とはいえ昔から好きな芸人の一人だったし、嘘がなさそうな振る舞いには好感を覚えていた。でもまあ、結局はその死に方がやはりショックだったのだろう。

少し心が落ち着いてきたところで、追悼ということでもないが、ちょうどAmazonプライムを再開していたので、『内村さまぁ〜ず』で上島竜兵が出演していた回を見直してみた。

やはり見れば笑ってしまい、笑えたことに安心した一方で、最初に見たときは気付かなかったことも今回はすごく気になった。かなり芸歴が長いことから、その老化が面白おかしく取り上げられ、「もう死んじゃうんじゃない」という、今では聞くにもつらい発言があって少し驚いたのだが、それはどうでもいい。気になったのは、上島さん本人の緊張感である。

売れた後輩芸人が久しぶりに飲みの場に現れたとき、緊張してほとんどしゃべらなかったというエピソードが紹介されていた。また後輩芸人との飲みの場を裏でモニタリングするというドッキリもあった。ドッキリとわかって、いきなり目の前にカメラが現れる。ショックからか緊張からか、上島さんの唇が震えていた。後輩芸人が「上島さんが小刻みに震えてるんですけど」と笑いにしていたが、今見ると、上島さんは何らかの不安障害を抱えていたのではないかと思う。

緊張で体が震えるというのは、僕のような重度のあがり症・社交不安障害を抱える人にはよくある症状。緊張で体が震えるというのは人間の自然な反応の一つなのだが、社交不安障害になると、普通の人にとっては何でもないような場面で過度に緊張し、震えてしまう。人前で話すときだけでなく、僕の場合は人前で文字を書くときに手が震えたり、立場が上の人と話すときや、冷たい態度の人、中途半端に知っている人と話すときに緊張し、体が震えたり、赤面したりする。特徴は、何でもないはずの場面で過度に緊張してしまうということ。上島さんは芸人であり、ドッキリにも何度もかかっているだろうし、カメラの前だって慣れているはず。ウッチャンにしてもさまーずにしても、本人からするとそれほど緊張する相手でもないだろう。上島さん本人にとっては、何でもないはずの場面だろう。そもそも、昔から面倒を見ている後輩芸人に、その人が世間的に売れたからといって緊張するのも変な話だ(不安障害を知らない人からすれば)。だが、今考えれば、その気持ちはすごくわかる。当然芸人ならではの悩みや痛みもあっただろうし、日常的に暗い気分に襲われていたのだろう。そして最後には、突発的な衝動に襲われ、ひょっとするとお酒の力もあったのか、理性がうまく働かなかったのだろうか。

芸人というのは本当につらい職業だと思う。不安障害というのは予期なく訪れるものだし、それに襲われたとしても人を笑わせなければいけない。ネタ作りがうまければ裏方に回るという手もあるだろうが、上島さんの芸風ではその道もなかったのだろうか。自分の「あるべき姿」にとらわれていたのかもしれない。

こんな想像を書き残しても仕方がないのだが、もう少し続ける。

もう一つ驚いたのは、これはうれしい意味での驚きだったが、上島さんが寅さんファンだったということ。これは完全に自分を投影してしまっている考えになるが、上島竜兵という人が寅さんに見た魅力というのは、僕自身が寅さんに見ている魅力に近いものかもしれない。「あのようにありたい・生きたい」という強い願望。それは、一般的に言われるような、年がら年中旅して回る生き方でも、さくらなど温かい家族がいるということでもない。憧れるのは、あの突き抜けるような明るさ。相手の社会的立場を完全に無視できる自由さ。それでいて、女性の前や人前で変に緊張してしまう、人間らしい弱さも見せる。人前で手が震えてしまう僕も、売れた後輩芸人相手に緊張してしまう上島さんも、そういう、底にあるものに憧れを抱いた・抱いているのではないかと思う。

結局のところ、上島竜兵がなぜ自ら命を絶ってしまったのかはわからないし、僕には知る必要も権利も無い。それは親しい人にもわからないのかもしれない。しかし、上島竜兵が人を笑わせている姿を今見直すと、以前は見えなかった不安というものが見えてくるのも確か。それでも結局大笑いしてしまうというのは、やはり彼が最上級のコメディアンであったということだろう。

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以下に『内村さまぁ〜ず』の上島竜兵回を残しておく。

 

韓国映画『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』

韓国(朝鮮民族)の詩人、尹東柱の生涯を描いた韓国の伝記映画。2015年製作。カン・ハヌル、パク・チョンミン出演。

尹東柱の詩集を数年前に手に入れ、何度か手に取って読んではいるが、やはりまだ詩は慣れないこともあり、まだすべては読んでいない。しかし、比較的平易な表現で、また当時の彼の状況を想像しながら読むと、相当堪える。日本人としてなのか、一人の人間としてなのか。恐らくその両方だろうか。

尹東柱の生涯についてはWikipediaしか読んでいなく、彼の生涯を扱った映画があると聞いてずっと観たいと思っていた。残念ながら近所のレンタルストアでは扱いがなく、配信サービスでもあまり取り扱いがなかったが、やっと先日見つけた。ありがとう、U-next。

尹東柱がどれほど抗日活動をしていたのかはよくわからない。おそらく関与したレベルは、この映画で描かれていたものに近いのだろう。強い反感を持ちながらも、本当の活動家にならなかったのだろう。それはきっと、彼には詩があったからだろう。詩人を自覚しながら、あのような時代にどのように生きるべきなのか。とても真摯な立場だったと思う。そう、真摯という表現が似合う。

映画の中で、従兄弟であり親友の宋夢奎が尹東柱の活動参加を妨げるようなシーンがあった。史実なのかわからないが、そう想像したくなる気持ちもわかる。恐らく、夢奎は自分の良心のようなもの、あるいはあるべき人間の姿を、東柱に託したのではないか。そう考えれば、やはり尹東柱が詩人であったことに大きな意味があったことがわかる。

 

空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜

映画『おかしな奴』|天才落語家・三遊亭歌笑の伝記映画

1963年製作。主演渥美清三田佳子南田洋子田中邦衛出演。

敗戦直後の混乱期に、日本を大いに笑わせ、そして流れ星のように世を去っていった落語家、三遊亭歌笑の人生を描いた喜劇映画。喜劇映画とはいえ、戦争の暗い影や、初恋相手の悲しい末路、そして歌笑本人の早すぎる最期もあり、全体的にどこか暗い空気が流れている。

ja.wikipedia.org

落語に疎いこともあり三遊亭歌笑(2代目)のことは知らなかったが、敗戦直後はラジオ番組でも大人気だったそうで、少年時代にファンだったという立川談笑は、歌笑の死の知らせを聞き、生まれて初めて涙を流したという。

「ヘンな顔」が売りだった歌笑。それを演じたのが渥美清ということで、見た目のインパクトという点でははまり役だったと思う。歌笑の実際の音源をYoutubeでいくつか聞いてみたが、渥美清はかなり高いレベルで再現していたように思う。語りのうまさも活きていた。

途中、歌笑の兄弟子が召集令状が届いたことに悲観し、自ら命を絶つというシーンがあった。歌笑は兄弟子の亡骸を抱きながらこう語りかける。

兄さん、人のことを笑わせるのが商売なんじゃねえか。それなのに、どうして俺のことをこんなに悲しませるんだよ。

このシーンを観ながら、どうしても先日亡くなったあの芸人さんを思わずにいられない。笑わせるのが商売の落語家・芸人。しかし、その人生が笑いに包まれているとは限らない。人知れず不安、恐れ、悲しみを抱え、ほかの人間と同じように、苦しみながら生きている。しかし、そうだと頭ではわかっていても、どうしても今回の件は自分の中で処理できない。なんだか頭が考えることを拒否しているような感覚だ。40年も生きていれば、知っている人が亡くなることもある。好きだった人を失うこともある。しかし、今回のは生まれて初めての感覚。そう感じている人も多いのではないだろうか。時間が経てば整理できるようになるのだろうか。。

最後に、本作のタイトルだが、どこかで見たことあるタイトルだと思ったら、そうそう小林信彦が書いた渥美清の評伝のタイトルが『おかしな男』だった。小林信彦は当然この映画を意識していたんだろう。

yushinlee.hatenablog.com

『勝手に生きろ!』ブコウスキー

何年か前、ブックオカの古本市で手に取ったブコウスキーの本。

「男ならブコウスキーですよ」と声をかけられ、そのまま買った。

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ブコウスキーという名前は長年知っていて、十数年前だろうか、一度は原書(たぶん本書)に挑戦して挫折していた。そりゃそうだ。訳本を読んで納得した。こんなの英語でわかるわけがない。

とまあ、おそらく十数年寝かして、40過ぎてやっと一冊読んだわけだが、とにかく面白い。好きだ。たぶん、ブコウスキーが大好きだ。

この年になったから、今だからこそ楽しめたんだろうか。あるいは、フリーランスなんていう肩書きを得て、適度にだらけながら生活するようになったから響くのだろうか。

この主人公のような生活は今の日本じゃ無理なんだが、ところどころ妙に共感できる。なんだか、生き方の可能性のようなものが見える気すらしてくる。別に今からこんなに適当に生きたいというわけではない。集団を避け、仕事を憎み、酒に溺れる主人公。自分の場合、酒は飲めないが、最初の2つならわかる。それはもうすごくわかる。

主人公も最初のイメージにあったマッチョ的な人物ではない。異性に対しても、今で言う「草食系」にでも該当するだろうか。アメリカを放浪しながら、その場の流れに身を任せ、適当に暮らす。厭世的というわけでもない。プライドのようなものもある。あらゆることにやる気はない。なんとなくケロアックがこんな感じなのかと思っていたが、この世代の特徴なのだろうか。この世代をビート・ジェネレーションというらしいが、もう少し読んでみよう。

この本、どこかで読んだ雰囲気に似ているなと考えたら、オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』だった。雰囲気は少し似ているが、あちらはルポ。こちらはフィクション。フィクションといっても、ほとんど実体験がベースになっているだろうから、こちらもノンフィクションに近いのかもしれない。

原書のタイトルは『Factotum』。手元の辞書には「さまざまな仕事[責任]をもっている人; (主人の)一切の雑用をする人, 雑働き人」とある。何でも屋さんなんだが、仕事を渡り歩いているところからすると、今で言うフリーターか。今の世界、特に日本なんかは企業文化にすっかりと飼い慣らされているから、これだけ自由な生活も難しいだろう。ああ、オレたちはなんて「堕落」してしまったんだろうか。