ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

『戦場のコックたち』深緑 野分

戦場という日常の中で繰り広げられる探偵劇。推理小説ではあるが、まじめな戦争文学でもあった。心がほっとするエピソードも交えつつ、舞台となるのはあくまで戦場。死の影がじわりじわりとにじり寄る。物語が進むにつれ、戦争の影は濃くなっていく。安易な比較は厳禁だろうが、今読むとどうしてもロシアのウクライナ侵攻を思わずにいられない。

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日本人作家がヨーロッパ戦線を取り上げた小説を書くいうのが珍しく、多少の疑念も抱きながら読み始めたが、至極自然に楽しめた。参考文献リストを見れば、著者がかなりの調査をもとに書き上げたこともわかる。そもそも、日本を舞台にしたとしても、実際に経験してなければ、あとは著者の調査力、想像力、表現力にかかるのだから、日本人だから外国を舞台とする小説が書けないわけがない。ただ、あまりにも自然に読めてしまい、もう少し異国の雰囲気を感じたかった気もする。また、タイトル通り、主人公は調理を担当する特技兵なのだが、料理関係の描写は期待していたほどなかった。それが戦場ということなのだろうが、そこだけは若干空振りだった。

3回目のコロナワクチン接種の翌日以降

やっとパソコンを開ける程度まで復活した。

接種の日は腕の痛みだけだったが、その日の深夜には発熱。腕と体全体の痛みで寝たり起きたりの繰り返し。深夜の間に38度になってから、それ以降24時間ほどその状態が続いた。以下、備忘。

  • 6時間:腕の痛み
  • 12時間:発熱(38度前半)、体の痛み、悪寒
  • 36時間:発熱(37度台)、若干の体の痛み

現在42時間ほど経過したが、やっと熱が36.9度まで下がり、体の痛みもおおかた楽になった。腕の痛みはまだ残っているが、おそらく今日中にはなくなるだろう。

前回まではたいして副反応が出なかった妻も、今回はかなり苦しそうだった。モデルナはやはり副反応が強いのだろうか。面白いことに、発熱している間は花粉症が治まっていたようだ。体温が上がると花粉症も治まるのだろうか。今は熱も下がってきて、ずっとくしゃみをしている。

体の痛みと腕の痛みがとにかくつらかった。長く寝てられないため、寝て起きての繰り返し。寝返りも一方方向にしかできず、そのたび腕に激痛が走る。食欲はそれほど落ちなかったのだが、食べる行動自体がつらかった。

今日は一日ゆっくり休んで、体調を戻したい。やはりワクチン接種する場合は、接種後2日間は休みが必要だ。

3回目のコロナワクチンを接種してきた

3回目のブースターショットを打ってきた。とりあえず予約だけ入れておいて、また直前頃に感染者数などの傾向を見て打つタイミングを調整しようと思っていたが、感染者数がまた上昇し始めていたこともあり、予定通り接種してきた。

前回は昼過ぎに打って、夜寝る前頃からつらくなってきた記憶があったため、今回は夕方の時間帯にずらしていた。今22時前なので、接種してから約6時間。前回同様に接種部位に殴られたような痛みが出てきた。ズボンをはいたりする動作がすでに難しい。

前回まではファイザーだったので、今回はモデルナ。3回目の場合は使用するワクチンの量が半分ということもあり、副反応はそれほど酷くないと言われているが、さてどうなるか。現時点では腕の痛みだけで、まだ発熱はない。おそらく熱が出てくるとすれば明日の午前以降だと思う。

今回も前回までと同じ大規模会場での接種だったが、今回は本当にガラガラで、接種後の待機時間を含めてすべて30分程度で終わった。オミクロンに感染しても軽度で済むケースが多いことから、ブースターショットについては様子見している人も多いのだろう。

明日は恐らく使い物にならなくなるだろうと、食料も多少買ってある。食べやすそうなフルーツやヨーグルトも。あまり高熱が出ないことを祈りつつ、今日は早めに休もう。

映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

フリーランスのジャーナリストであったガレス・ジョーンズの実話をもとに描かれた伝記的スリラー映画。背景は世界恐慌下の1930年代。英国の元首相ロイド・ジョージの外交顧問を務めていたジョーンズだったが、財政難のためその役職を解かれた。地元に戻り快適な生活を選ぶこともできた彼だが、その時代を取り巻いていたぼんやりとして、それでいてとてつもなく巨大に危機感を感じていた彼はモスクワに向かった。以前ヒトラーとのインタビューを成功させていた彼は、次にスターリンとのインタビューの機会を狙っていたのだった。世界中で恐慌の嵐が吹いていた時代に、なぜソ連だけが好景気なのかどうしても計算が合わないと感じ、その秘密を探ろうとする。その過程で彼が潜入することになったが、今まさに戦争下になっているウクライナ。そして、想像を超えるほどの飢餓状態にあった人々に出会う。ウクライナで広がっていたのは、後にホロドモールと知られる人工的な大飢饉だった。その状況を世界に訴えようと試みるも、ことごとく親スターリン派の動きにより封じられる。しかし諦めない彼は・・・。

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2022年に入り、コロナもエンデミックになるのかと少し明るい素材が見えてきたのかと思ったら、ロシアによるウクライナ侵攻。一番恐ろしいのはやはり人間だったということを実感せざる終えない今、戦争がらみの映画や小説につい手が出てしまうというのも僕だけではないはず。

ウクライナが舞台となるとは知らずに見始めた本作品。ロシアとウクライナの地理的な関連性の濃さをまざまざと感じされられた。いつの時代にも体制側に寄り添い、圧制者のツールとなってしまう人々がいる。日本の歴史にも数多くいたし、当然イギリスだって例外ではない。スターリンの時代にプロパガンダマシーンと化してしまう一部のジャーナリストの姿。歴史は繰り返すと言うが、単純に人間は変わらないということだろう。ヒトラースターリンが悪だったというよりか、人間の中にある悪がヒトラースターリンという形を取ったのだろう。その取り巻きも含め。プーチンにだって言えるのかもしれない。私たちはつい、彼を唯一の悪、あるいは今世界が見ている悪夢のような出来事の根源と見てしまう。それは正確なのだろうか。ウクライナに対する静かなる侵攻は今回始まったわけではない。それを見逃していたロシア国民、そして世界の人々の責任も当然考えなければならない。人間が持ちうる、この無関心という態度。特効薬でもあればいいのだが。。

そうそう、同時代のジャーナリスト・作家としてジョージ・オーウェルも登場していて驚いた。以前はスターリンに一定の共感を感じていたようだが、ガレス・ジョーンズの記者会見でスターリニズムの恐ろしさを再考し始めるという描写があった。動物農場を執筆している姿も繰り返し描かれていて、本作品全体をうまくまとめている。「オーウェル的な」という表現は本作にも該当しそうだ。ジョーンズ氏のオーウェル的な闘争と言えるのかもしれない。

さて、実際のガレス・ジョーンズ氏については、本作のエンディングロールのほかに、Wikipediaにも記事があった。ソ連関連の取材活動が難しくなったことから、次に彼が向かったのは極東。日本には6週間滞在し、政治家や軍関係者とのインタビューを行ったようだ。その後、日本帝国が占領していた満州国に移動したが、そこで盗賊に誘拐され、残念ながら殺されてしまう。取材のガイドがソ連の秘密警察とつながっていたことから、ソビエトによる工作だと疑われている、とある。

日本人としては、その直前の日本軍や政治家とのインタビューが非常に気になってしかたがない。当然、満州国での日本軍の活動をとやかく言われたくないだろう。当時の新聞には、日本と中国が誘拐犯への連絡を試みたようなことが書かれていたようだが、まあ、なんだかそれも単なる外向けのモーションのように聞こえる。直接関わっていないにしても、当然日本軍なら積極的に救おうとはしないだろう。なんだか小説が一つ書けてしまいそうな気もしてきた。

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もしガレス・ジョーンズ氏がもう少しだけ活動を抑え、戦後まで生きていたらと想像したくもなる。オーウェルに並ぶジャーナリスト・作家になっただろうか。このように不遇な最期を遂げた立派な人々は多くいたはずだ。そして、今のウクライナにも数多くいるはずだ。きっと、似たようなことが今まさにウクライナで行われているのだろう。戦争反対などの声が承認欲求を満たすツールにすらなってしまっている今、私たちはどのように考え、行動すればよいのか。これからあるべき態度。それは歴史からしか学べないのかもしれない。

ビリー・ジョエルとマンションの清掃スタッフ

真向かいのマンションでは、週に数回、業者の方がロビーや廊下の部分を清掃している。団地のような外に開けている形なので、こちらのベランダからもよく見えてしまう。声もよく聞こえる距離だ。静かに作業されているときもあれば、仲間同士でわいわい楽しく働いているときもある。楽しく働いている様子の時は、盗み聞きしてしまっているこちらの気分も軽くなる。ブツブツ互いに文句を言い合っているときには、こちらも暗くなる。

最近気付いたのだが、スタッフの中にかなりご高齢の方々がいらっしゃることがある。ひょっとすると外部の業者ではなく、物件のオーナー家族が総出で掃除しているのかもしれない。しかしだ。ご高齢の先輩方が歩くのも大変そうなのに、「時間がないよー」と若い衆に発破をかけられ、あくせく働いている姿には少し戸惑ってしまう。

BIlly JoelにViennaという曲がある。中学生の頃にファンになって以来、ここ十数年の間(十分な年になってから)は、マイベストのトップ3に常にランキングされている名曲だ。

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この曲についてファンから質問を受けたときに、Billyはタイトルになっているウィーンに訪れたときのことを語っていた。

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彼の父親がオーストリアのウィーンに住んでいて、その父を訪ねたときのこと。道ばたで掃き掃除をしている老女を見かけた。90歳前後に見える、上品な感じの老女だったという。アメリカでは見られない場面に驚いたBillyは父に「なぜ老女は道を掃除しているんだ?」と聞いたそうだ。彼の父は「彼女は働いているんだよ。社会に有益だと感じることができ、幸せなんだ」と答えた。いくら年を取っても、まだ有益でいられる。コミュニティの一員でいられる。これは素晴らしいことだと感じ、ウィーンを「残りの人生」の比喩として使ったと。Vienna waits for you...

お年寄りが道ばたを掃除するという風景はヨーロッパだけでなく、日本でもよく見かける。見かけるたびに、この歌とBillyの答えを思い出し、自分の残りの人生を考える。

いくら年を取っても働けるというのは素晴らしいことだ。しかし、向かいのマンションで「急いで!」と急かされている老女を見たときにはなんだか気分が悪くなった。Billy Joelがこの風景を見ても、同じ曲に私が住んでいる街の名前は付けなかっただろう。それほど2つのシーンは剥離している。

散歩がてら、運動がてら、コミュニティに何か寄与したいと思い、自主的に働きに出ることと、生活のため、食いつなぐため、あるいは息子夫婦にせっつかれ、老体に鞭を打って働くことはまったく別のものだ。これは勝手な自己判断だが、向かいのマンションで働く老女はきっと後者だったろう。

一億総活躍社会という言葉がある。全国民が社会に何らか寄与できるコミュニティを作ろうというわけだが、Billy Joelオーストリアで見た光景とは何かが違う。大きく違う。今の政治家連中が言っているのは、社会保障で食わせていくのは無理なんだから、お前ら年齢性別環境事情問わず「働け!」ってことだ。あたかも美しい社会象であるかのようにオブラートに包み、やろうとしているのは、力なき者の口にゴミクズを突っ込むようなこと。そしてそれがうまくいっているように思える。そこに理想なんてものはない。尊厳などない。どれだけ、どこまで搾り取れるか。

ああ、疲れた。こんなことを日記にしたためたところでどうなるものでもあるまいが、ときにすべてが無駄に感じてしまう。

いずれにせよ、日本に住む私たちには、Billy Joelが歌っていたウィーンという場所は待っていないのだろう。

ローベンハイマー / シンプソン『科学者たちが語る食欲』|動物から学ぶ健康的な食生活のヒント

なぜ私たちはつい食べ過ぎてしまうのか。この際限のない食欲はコントロールできるのか。食欲はそもそもコントロールすべきものなのか。食欲は信用するべきでないのか。

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現代社会が抱える肥満という問題。その仕組みと解決策を動物から学んでしまおう、というのが本書。比較的コンパクトな内容だが、しっかりと根拠が記述されている。食欲というテーマの各種の実験や研究の話も面白い。何よりも健康が第一だと誰もが考えているが、まっさきに疎かにしてしまうのも健康。健康についてしっかりとした文献を読んでみたいが、どうしてもそこまで興味がわかず、時間を使いたくない。そもそもどの本も何か怪しそうだ。データや研究に基づく、そんな本がないのだろうか。そんな自分にぴったりの入門書だった。

本書によると、人間(だけでなくほとんどの生き物)はタンパク質欲に支配されている。一定のタンパク質欲が満たされるまで食べ続けてしまうのだが、現代は(コストのかかる)タンパク質が抑えられ、(コストの安い)炭水化物・脂質を多く含む加工食品が主流。そのため、同じカロリーを摂取したとしても、以前よりも炭水化物・脂質の摂取量・比率が増えてしまい、肥満がこれだけ蔓延する世界になっていると。特にたちが悪いのがファストフードが代表する超加工食品。食生活だけでなく、現代人の暮らし・社会全体が関連する問題でもある。

では、高タンパク質にするだけでいいのかというと、そうでもない。タンパク質を取り過ぎることにも弊害があり、長寿を妨げる要因とも考えられている。

ではどうすればよいのか。そう、バランスのよい、多様な食事である。工業技術により大量・安価に生産されている超加工食品を可能な限りさけ、できるだけホールフーズを、それも様々な種類のものを食べればよい。食欲も、味覚も、本来は正しいバランスの食べものを食べるためのガイドとして存在するものであり、それがうまく機能しているその他の種の動物には肥満は基本存在しない(この辺の研究内容は本当に面白かった)。最初はなるべく注意しながら、タンパク質・炭水化物・脂質のバランスを考えながら食べれば、そのうち食欲が自然にガイドしてくれるだろう、と。まあ、このへんは眉唾ではあるが、素直に頷きたくなる気持ちもある。

以上、結論としては想定通りなのだが、ぼんやりと自分の中で理由付けができたのはありがたい。そして食品業界に対する怒りも久しぶりに沸いてきた。典型的な中年太りからなかなか脱却できないでいたのがここ数年。定期的にジョギングをしても、寒い時期にはついサボってしまうし、体重も上下をゆったりと周期する程度で長年変わっていない。コロナ太りもあった。BMIはだいたい25前後を行ったり来たり。肥満とは言えないが、その入口は常に見えている。ここから一歩先に行かないといけないと思っていたが、本書がいいきっかけになりそうだ。やはり、食生活を見直さなければいけない。

ブレイディみかこ『THIS IS JAPAN :英国保育士が見た日本』

ここ数年よく書店で見るようになったブレイディみかこ。そのブレイディ氏による2016年の日本取材記。現在は文庫になっていて手に入りやすい。

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長らくイギリスに住んでいたブレイディ氏が、久しぶりに日本に長期滞在し、その間の取材をまとめたのが本書。

取材内容も衝撃的だ。日本に住んでいながら、自分が知らなかった、見えていなかった、見えないふりをしていた現実。第一章のキャバクラユニオンの活動から一気に引き込まれた。労働者がほかの労働者の足を引っ張る。人々に力を与えてはならない。余暇の時間を余計に与えてはならない。「働けっ!」というわけだ。日本社会は本当によく作り込まれている。

「ほかにも道はある」。アナキズムに通じるこの言葉も印象的だ。先日読んだ森元斎の本でも、まったく同じ表現が使われていた気がする。そういう世界だから仕方がないという言葉は、思えば上からではなく、横方向に広がる考えだろう。みんなも我慢しているんだから。そういう業界なんだから。あんただけそんな勝手な行動許されると思ってんの。貧困の問題。ジェンダーの問題。差別の問題。すべてにつながる。無駄に「いい子」になってはしないか。ふと足を止めて、他のやり方はないのかと、真剣に問うこと。何か見えれば、実行してみること。一方方向に、何も考えず走っていればよかった時代はとうに過ぎている。いや、そもそも実際にはそれでよかった時代などなかった。

yushinlee.hatenablog.com

自身がイギリスの保育士だったこともあり、日本とイギリスの保育を比較しながら切り込む章も面白い。日本でもまだ消えていない草の根運動。事業化、経済的自立をベースとする活動。中流を自称する日本の貧困層。軽快な取材記だが、相当の思考が求められる。僕個人としては、相変わらず自分の無知を知ることとなった。無知を知らせてくれるのは本当にいい本である。