ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

ビリー・ジョエルとマンションの清掃スタッフ

真向かいのマンションでは、週に数回、業者の方がロビーや廊下の部分を清掃している。団地のような外に開けている形なので、こちらのベランダからもよく見えてしまう。声もよく聞こえる距離だ。静かに作業されているときもあれば、仲間同士でわいわい楽しく働いているときもある。楽しく働いている様子の時は、盗み聞きしてしまっているこちらの気分も軽くなる。ブツブツ互いに文句を言い合っているときには、こちらも暗くなる。

最近気付いたのだが、スタッフの中にかなりご高齢の方々がいらっしゃることがある。ひょっとすると外部の業者ではなく、物件のオーナー家族が総出で掃除しているのかもしれない。しかしだ。ご高齢の先輩方が歩くのも大変そうなのに、「時間がないよー」と若い衆に発破をかけられ、あくせく働いている姿には少し戸惑ってしまう。

BIlly JoelにViennaという曲がある。中学生の頃にファンになって以来、ここ十数年の間(十分な年になってから)は、マイベストのトップ3に常にランキングされている名曲だ。

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この曲についてファンから質問を受けたときに、Billyはタイトルになっているウィーンに訪れたときのことを語っていた。

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彼の父親がオーストリアのウィーンに住んでいて、その父を訪ねたときのこと。道ばたで掃き掃除をしている老女を見かけた。90歳前後に見える、上品な感じの老女だったという。アメリカでは見られない場面に驚いたBillyは父に「なぜ老女は道を掃除しているんだ?」と聞いたそうだ。彼の父は「彼女は働いているんだよ。社会に有益だと感じることができ、幸せなんだ」と答えた。いくら年を取っても、まだ有益でいられる。コミュニティの一員でいられる。これは素晴らしいことだと感じ、ウィーンを「残りの人生」の比喩として使ったと。Vienna waits for you...

お年寄りが道ばたを掃除するという風景はヨーロッパだけでなく、日本でもよく見かける。見かけるたびに、この歌とBillyの答えを思い出し、自分の残りの人生を考える。

いくら年を取っても働けるというのは素晴らしいことだ。しかし、向かいのマンションで「急いで!」と急かされている老女を見たときにはなんだか気分が悪くなった。Billy Joelがこの風景を見ても、同じ曲に私が住んでいる街の名前は付けなかっただろう。それほど2つのシーンは剥離している。

散歩がてら、運動がてら、コミュニティに何か寄与したいと思い、自主的に働きに出ることと、生活のため、食いつなぐため、あるいは息子夫婦にせっつかれ、老体に鞭を打って働くことはまったく別のものだ。これは勝手な自己判断だが、向かいのマンションで働く老女はきっと後者だったろう。

一億総活躍社会という言葉がある。全国民が社会に何らか寄与できるコミュニティを作ろうというわけだが、Billy Joelオーストリアで見た光景とは何かが違う。大きく違う。今の政治家連中が言っているのは、社会保障で食わせていくのは無理なんだから、お前ら年齢性別環境事情問わず「働け!」ってことだ。あたかも美しい社会象であるかのようにオブラートに包み、やろうとしているのは、力なき者の口にゴミクズを突っ込むようなこと。そしてそれがうまくいっているように思える。そこに理想なんてものはない。尊厳などない。どれだけ、どこまで搾り取れるか。

ああ、疲れた。こんなことを日記にしたためたところでどうなるものでもあるまいが、ときにすべてが無駄に感じてしまう。

いずれにせよ、日本に住む私たちには、Billy Joelが歌っていたウィーンという場所は待っていないのだろう。