ハト場日記

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韓国のサイコサスペンス映画『死体が消えた夜』

韓国のサイコサスペンス映画『死体が消えた夜』。主演は『殺人の追憶』でも有名なキム・サンギョン

若い学生との不倫の果てに、完全犯罪となるはずの方法で妻を殺めた大学教授。しかし、ある日その妻の死体が盗まれてしまう。誰が死体を盗んだのか。妻は生きているのか。「そのパターンがあったかぁ!」と地団駄を踏んでしまうエンディングまで、よくできた心理サスペンス映画。

どこかポアロ的なおとぼけさをまとった刑事役のキム・サンギョン。やはりその演技が光った。この人はシリアスもコメディも巧い。

ルールなんて自分たちには適用しないとばかり自由奔放に振る舞う韓国財閥の富者ども。韓国映画ではあるあるすぎて、斬新さがまったく感じられなくなってしまった要素になった。しかし、復讐劇というのは不思議と飽きないもので、きっとこれは人類史を見ても不変のテーマなんだろう。

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韓国映画『女は冷たい嘘をつく』|痛い思いをするのはいつも貧乏人だ

韓国社会の暗部を描いた失踪ミステリー(?)。男性中心で、かつ外国人に対して排外的な社会。韓国でも大きな問題だが、日本にもほぼそのまま通じるテーマ(そしてなかなか改善されないのも共通している)。

痛い思いをするのはいつも貧乏人だ。やりきれないよ。もういい。テッソ・・・

- 看護師のおばちゃん

主演のオム・ジウォンとコン・ヒョジンがどちらも素晴らしい演技を見せている。素人目にも、オム・ジウォンの演技というのが凄いのはわかり、エンディング前の警察署内でのあの叫び声なんかは鳥肌が立つほど。男性キャラクターの駄目さ・だらしなさも目立ち、同性としてイライラする。これも演技・演出が優れていたからだろうと思う。

登場人物は大きく二つの集団に分けて描かれている。男性中心で、金持ち中心、排他的な社会を象徴する人々。多くの男性キャラクターのほか、コン・ヒョジンの義母、風俗店の店長など女性もいる。それに相対するのが主演の2人の女性、一部の看護師たち。そして両方に足を突っ込んでいる人物も。そう、自分だって、知らないうちに加害側になっていることだってあるのだ。完全な善人も、完全な悪人もいない。今日の加害者が、明日の被害者になることだってある。フェミニズムといっても女性だけでない。外国人の権利問題についても、外国人だけではない。社会というのは入り組んでおり、だからこそある程度の複雑性を備えた「面白い」社会ができているのだ。自分は絶対に差別者なんかじゃない。そう固く信じている人ほど、自分を疑った方がよい。

「母は強し」という表現がある。恐らく一昔前ならその言葉だけで終わっていたかもしれないが、当然この作品に秘められているのはそんなものだけでない。そんな単純化だけではだまされることもない時代。そう考えれば、少しだけでも私たちは前に進んでいるのかもしれない。程度はどうであれ。

この映画の公開は2016年とあるが、日本でも一大ブームとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』も原作は2016年。韓国には社会的にこういった作品が生まれる雰囲気があったのだろうか。世界的に「#MeToo運動」が大きくなったのは翌年の2017年なので、それよりも1年先駆けていることになる。フェミニズム運動についての個人的な無知は恥じるしかないが、隣国の韓国で先駆ける形でこういう問題が作品化されていたというのは、やはり心強く感じる(ただし、韓国ではエンターテイメント業界での女性差別問題が非常に深刻だった、そして政治的な意見を「声に出しやすい」社会だったという側面もあるとは思う)。

それにしても『女は冷たい嘘をつく』という邦題がどうもしっくりこない。原題のままだと「ミッシング:消えた女」だが、それだと欧米映画に埋もれてしまいそうで、たしかにこの邦題のほうがインパクトはある。いかにも韓国映画っぽいタイトルだ。しかし、少しミスリーディングではないか。あくまで個人的な解釈の範囲だけども、「冷たい」というのはやはりきついと思う。「女に冷たい」ならわかるが。こういった違和感込みで付けた邦題なのだろうか・・・。

 

マ・ドンソク主演『悪人伝』|3つの狂気が入り乱れる韓国のバイオレンスアクション

マ・ドンソク主演のバイオレンスアクション。ノワール映画のようでもあり、ほっとさせるコメディ要素もあり、思いのほか楽しめた。刑事vsヤクザ、刑事vs殺人鬼というのはよくあるが、この3者が交差するというのは結構珍しい。とはいえ、それほどプロットも込み入ってないので、疲れた頭でも安心して楽しめるアクション映画。それも結構上等なものだ。

人類最強の肉体派ヤクザ、マ・ドンソク。警察内でもめてばかりの暴力刑事、キム・ムヨル。そして狂気の連続殺人犯、キム・ソンギュ。まさにヤクザ、刑事、悪魔のバトルロワイヤル。3人が3人とも役にどハマりしている。そして3人とも暴力的。映画の殺人犯というと知的なタイプが多いが、この作品ではどちらかというと力ずくで前へ前へ進むタイプ。子供の頃に虐待を受けていたり、また自室にも哲学書があったりと、殺人犯の若干の描写はあったが、そこはあまり深掘りされていなかった。形容詞としての「狂気の」で止まっている。少し物足りない気もしたが、その辺はメインのテーマではなかったのだろう。掘り下げたところで、二番煎じ感はある。

この映画に斬新なところがあるとすれば、この3つの勢力という組み合わせ。そしてヤクザと刑事の不思議な連係プレイ・連帯感。ブロマンスというわけでもないが、ぶつかりながら連携し、またぶつかり、しかし肝のところではしっかりと手を組む。エンディングも無理はない。

マ・ドンソクは好きでも、マ・ドンソク主演映画はなぜか途中で飽きてしまうパターンが多い。でもこれは久しぶりに楽しめた。たぶん今回は主役レベルが3人いたからだろう。やはり1人だけで主演させるより、少し裏に回るくらいのほうがしっくりくる。

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悪人伝(字幕版)

悪人伝(字幕版)

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倍賞千恵子『お兄ちゃん』

男はつらいよ』シリーズでさくらを演じた倍賞千恵子が、渥美清との思い出を中心に語る。渥美清とはどういう人だったのか。倍賞さんからすると、寅さんが演じる愚兄とは真逆で、いつも自分の幸せを気にかけてくれる、面白い話を聞かせてくれる、相談にもちゃんと耳を傾けてくれる、そしていつも温かく見守っていてくれる、文字通り「お兄ちゃん」だった。ここには、小林信彦の『おかしな男』にあったようなエキセントリックな感じはまったく見えない。渥美清倍賞千恵子の前ではいい兄貴役を買って出ていたのだろう。

倍賞千恵子さんというのは、人間として自然体のまま演技に入っているという印象があったが、それがどのように出来上がってきたのがが少しわかった気がする。踊り子としての下積み時代、チラリと垣間見える男性との失敗談など、ここに書かれているのは倍賞千恵子本人の生の声だ。Amazonのレビューでは文才がどうのという意見もあったが、倍賞千恵子本人がこだわってあえて手を入れなかったのだろうということは容易に想像できる。肉声であるということが、渥美清に対する最低限の礼儀でもあったはず。そういう点で、やはりこの本を書いた倍賞千恵子は自然体だったし、そういう意味でこの本は目的通りのものになったと思う。

そしてまた、表紙の絵がいい。峰岸達による装画とある。江戸川で渡し船を待っているのだろうか。なんとも味わいがあってよい。

 

山田洋次のロードムービー『家族』|「古き良き」日本の姿と、そこで前を向いて一生懸命生きる人々

長崎の伊王島に住む一家族。島での暮らしを捨て、北海道の開拓村での新しい生活を目指す。「古き良き」日本をじっくりと堪能できるロードムービー。期待、失望、混乱、喪失、疲労、怒り。和解の後に再び訪れる喪失。しかし冬も永遠には続かない。春が訪れ、新しい希望、生命が生まれる。

「人に使われるのは性に合わんたい」と、島の生活に区切りを付けようとする夫の精一(井川比佐志)。今の生活がうまくいかない。自分の弱さを感じながらも、なんだかんだ自分にも周りにも言い訳をして、かすかな夢を見る。弟(前田吟)の力はそんな兄を「楽天的だ」とバッサリ(ちなみにこの兄弟は『男はつらいよ』のテレビ版の博士と映画版の博の共演となっている)。観ていて情けなく感じるシーンも多い、どこか駄目男の役なのだが、周りにも、いや自分の中にすら、こういう一面を持っている人は多いだろう。個人的にも妙に共感してしまう。

夫思いで家族思い、そして精一にはないある種の生活力や強さ、したたかさを秘めている妻、民子(倍賞千恵子)。最初は反対していた北海道移住にも、結局夫の本気度を知り、家族で付いていくことに。道中、そして到着直後に大きな悲しみに襲われるが、それでも強く生きていく。希望の姿となる。『男はつらいよ』を観ていると多くの人が抱くであろう、「さくらみたいな妹/姪/妻etcがいたら・・・」という感覚。この映画を観れば「民子のような妻/義理の娘がいたら・・・」という思いを抱く。

精一の父親として、北海道移住に付いていくことになった祖父、源蔵(笠智衆)。当初は精一たちとは途中まで一緒に移動し、広島に住む次男の力(精一の弟)と共に余生を過ごす予定だったが、着いてみればさほど歓迎されていなかったことを知らされ、結果精一たちと共に北海道へ向かう。一見、新しい生活を始める夫婦の「お荷物」にも見えそうだが、実際は精神的な柱であった。精一のように自分を失うようなことはなく、ただ静かにたたずんでいる。こういった人間の強さというのは年齢を重ねるほどわかってくるものだし、それがうまく表現されていたように思う。笠智衆といえば『男はつらいよ』の御前様なのだが、本作の祖父役でこの方の素晴らしさがわかった気がする。炭坑節のシーンは見事。

また本作には『男はつらいよ』で馴染みの役者も多数出演している。精一の弟役の前田吟、祖父役の笠智衆のほかにも、北海道までの連絡線で顔を合わせる陽気な旅人として渥美清。電車で聞き耳を立てる乗客として太宰久雄。病院の前を通りがかる女性として三崎千恵子。旅館の主人として森川信。ただこれだけ出てくると、どうも映画視聴の邪魔になってしまう。当時の映画ではあるあるだったのかもしれないが、別の映画の映像が頭に入ってくるのはよろしくない。特に、森川信がテレビで渥美清(と思われる人物)を観ていて「こいつは本当におかしいなぁ」と笑っている姿なんかは、少しやりすぎのような気がした。メタ要素というか、これもありの時代だったのかもしれない。

 

小林信彦『おかしな男 渥美清』|神格化されていない渥美清評伝

評論家小林信彦渥美清の思い出をまとめた「評伝」。神格化されている渥美清を冷静に語り、ときには非常に厳しい。それゆえ信頼が置ける。

渥美清との距離感としては、何でも打ち明けられる友人ではないが、顔を見ればゆっくり話したくなる、気に入っている知り合いといった感じか。全体としては当然だが、渥美清に対しては好意的な立ち位置で、一時期、渥美清が批判的に叩かれていた時代でも「なぜあんたは渥美の肩を持つのか」と責められたこともあったようだ。

特に「男はつらいよ」が始まる前頃までの渥美清の様子が詳しく見えてくる。当然「車寅次郎」と「渥美清」はイコールではない。また「渥美清」も本名の「田所康雄」とイコールではない。

渥美清はプライベートでは勉強家であり、評論家でもあったようだ。劇や映画は特によく観ていたようだし、また独りオオカミとして業界で生きていくための情報収集も欠かさなかったとある。『男はつらいよ』が始まってからは、特にプライベートを秘密に保ち、寅さんのイメージをしっかり守ろうとしたとは聞いていたが、人嫌いなのは以前から同じだったようで、自分の部屋にも人を入れたがらないというのが知られていたと。そこに誘われた数少ない一人が筆者の小林信彦氏だった。

渥美清の普段の様子は読んでいても面白い。語りのうまさは車寅次郎そのものだったようで、人のまねも絶品で、小林信彦氏も大いに笑ったとある。たしかに『男はつらいよ』でも、寅さんが博の口まねをして愚痴を言うシーンが何度かあるが、あまりに似ていて毎回吹き出してしまう。渥美清は普段は寡黙とされていたが、それは相手によって変えていたのだろうと思うし、筆者のようなある程度信頼して話せる人が相手だったら、寅さんの一人語りを披露していたようだ。これはただただ羨ましい。

渥美清が「役者の究極というのは笠智衆さんのようなものじゃないか」と語っていたという。笠智衆といえば『男はつらいよ』の御前様。堅実な演技という印象だが、どうやら人格者だったようで、やはり役者といえども、人間的な成熟も大切な要素だと考えていたのだろうか。やはり「以前が以前なだけに」と語るほど、若かりし頃はいろいろなことをやってきた人間だけあって、そういう存在に対する憧れのようなものがあったのだろうか。

渥美清の最期についてはマネージャーの話などを引用して言及されているが、読んでいるだけでもつらい。晩年のNHKのドキュメンタリーもYoutubeで観たことがあるが、あれは本当に観ていてつらかったのを覚えている。あれだけ自分に無理を言わせ、文字通り死ぬまで映画に捧げたわけだ。最後に残ったのは、やはり責任感だけだったのだろう。

『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』|変化が必要だ。でもどうやって?

ドキュメンタリー『監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影』。SNSや現代のデジタルテクノロジーによる弊害を告発したドキュメンタリー映画

「告発」しているのはこの問題についてはインサイダーとも言える、テック業界出身者たち。GAFA出身の、それも上級の職種に就いていた人々がSNSの弊害や危険性を語っている。しかし、彼らが最後にぼんやりと示した解決策がなんとも情けなく聞こえる。ソーシャルメディアは修正できると。巨大企業によるユーザーデータ収集に対して課税するなど、自らを楽観主義者だと言いながら提示するものはあまりにも頼りない「ソリューション」。個人レベルで「通知を切る」「子供のSNS利用を禁止する」しかないのか。あくまで問題を提起するというだけで終わっていたのが残念ではあった。

根本的な問題はやはり根底にある資本主義だろう。この際限を知らない思想を法整備でしばれば改善されるのだろうか。「倫理」を取り入れるだけでよいのだろうか。もう方向修正では手遅れなのではなかろうか。その場合、根本的に一度「破壊」する必要があるだろうか。では、それはいったい何を意味するのか。革命?それとも自滅か。

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