ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

『Seaspiracy 偽りのサステイナブル漁業』|責任のある漁業とは?魚食を続けるべきか否か

近所の本屋に行ってみれば少なくとも1冊は見つかるであろう「サステイナブル」関連本。気候変動、人口増加などの対抗策の1つとして近年大きく崇められ、一種の流行となっている。

このドキュメンタリー映画では漁業におけるサステイナブル、そして世界的に隠されているその「嘘」を暴いている。

いくつか要点を挙げておく。

  • 日本の捕鯨はけしからんが、実際は世界中での混獲による影響がはるかに大きい
  • 海洋のプラスチック汚染ではマイクロプラスチックの問題が大きく取り上げられるが、実際は廃棄された漁網などが大半で、各種保護団体もこれについては大人の事情で声を上げない
  • 米国のドルフィンセーフという認証マークは何の意味もない
  • 魚の存在は温暖化対策にも不可欠だと考えられているが乱獲が止まらず、今のペースでは2048年までに海は「空っぽ」になるとも言われている
  • プラスチック汚染対策には、魚の摂取量を減らすのが効果的だが、各種保護団体もそれを言わない(スポンサーとの大人の事情)
  • 養殖なら環境へのダメージが少ないと考えられているが、餌には大量の魚が必要だったりと、実はその裏で犠牲となる命が多い
  • 漁船で低賃金で奴隷のように働かされている人々の存在
  • 魚も痛み、恐怖を感じる
  • からしかとれないと思われているオメガ3脂肪酸は藻類からとれる

サステイナブルとは何だろうか。例として、フェロー諸島での捕鯨が紹介されていた。映像としては残念ながら日本での捕鯨の映像と変わらない。漁場は一面血の海と化す。単なる虐殺のようにも見えるが、現地の捕鯨員のインタビューが印象的だ。

自分を悪人とは思わない。"鯨殺しは悪だ"と言うかもしれないが、鯨1頭の肉の量はニワトリ2000羽分に等しい。私は2000羽の命を助けて、鯨を1頭殺す。そういう意味で、私よりひどい人間はたくさんいる。例えばこんな人だ。"昨夜、みんなでサーモンを食べた"。4人分なら鮭を少なくとも2匹は殺している。鮭は平気で殺すのに捕鯨は悪だと主張する人だ。こう言うならわかる。"動物は一切殺さない"。そう言うベジタリアンたちは理解できる。だが、こんな人は理解できない。"鯨を殺すな"と言いながら、他の動物は食べる。(私にとって)魚もニワトリも鯨も、命の価値はまったく同じだ。

これは日本でもよく言われる「いいわけ」のようではあるが、一理ある。そこでこの映画監督はこう結論付ける。(彼らの言っている)サステイナブルとは、同じことを永遠に繰り返し行えることだと。

言葉本来の意味としてはそうだろう。ほかの動物だって、別の動物を捕らえて食べている。人間が動物や魚を捕まえて食べること自体には、個人的には問題はないと思う。全体的な種のバランスが取られていればいいのだ。だから、やはり問題となるのはその「量」だろう。そうなると、やはり人口爆発が根本的な問題なのだろうか。本作では魚を食べないように促し、それを結論としているが、完全に絶つのは難しい。歴史的に魚食が主だった日本人には特に困難な道だ。また、地理的条件で海の幸が重要な栄養素とならざるおえない地域もある。バランスをどう確保するか。いずれにしても、食べる量は今から大きく減らさなければならないだろう。

漁業におけるサステイナブル、そして世界的に行われているカバーアップ。とてもいいドキュメンタリー映画だった。また漁業だけじゃなく、同じ仕組みは環境保護という枠組みの中ではびこっている。

やはり根本は、多すぎる人口。そして際限ない消費傾向。はたまた資本主義か。

www.netflix.com

 

SF映画『エリジウム』

先日観た映画版『21世紀の資本』で紹介されていた作品『エリジウム』。

2154年大気汚染や人口爆発によって荒廃した地球。超裕福層は荒れた地球を逃れ、衛星軌道上に建設したスペースコロニーに移住した。

ディストピア的な近未来を描いた本作。SF作品ではあるが、なくもない近未来を描いている。主演はマット・デイモンジョディ・フォスター。両者とも配役のイメージに合っていて自然に観れた。背景となった近未来像は面白かったのだが、映画としては映像の美しさを入れても平均点くらい。普通に安心して楽しめるアクション映画ではあった。

そういえばつい先日も、ある日本の資本家が宇宙へ旅行してニュースになっていたが、ベゾスといい、現代の富裕層はこういったディストピア作品に出てくる悪者たちを理想に据えているのだろうか。

きっと我々人類に、ろくな未来は待っていない。

yushinlee.hatenablog.com

 

映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』

政治家小川淳也を追ったドキュメンタリー映画。自分は、政治についてどちらかというと無知な方であるが、小川淳也氏については、今年の夏頃、何かの記事で目にして気になったか、そのへんの詳しい経緯は忘れてしまったが、興味を覚えて『本当に君は総理大臣になれないのか』という書籍で知った。このときの自分の読書メモにはこう書かれていた。

少し変わった政治家、小川淳也氏の本。インタビューと半生を振り返るノンフィクション部が並行して進む。インタビューは「ガチンコ」ということだが、正直物足りない。政策内容も首をかしげるところがあり、それが詳しく説明されていないので、モヤモヤ感が残る。目指すタイムテーブル的にもそうとう厳しいという印象。スピーチをびしっときめれば世界が変わると信じているような節もある。本当に日本、そして世界を変えたいのか、それとも、日本を変えるために修行僧としてがんばっている自分が好きなだけなのか。後者でないことを祈りたい。

面白そうな政治家だが、言っていることが少し青臭い、また彼の提示している政策内容も首をかしげるところがあったりと、すぐに「よし頑張れ」と応援しようとは思わなかったが、先日の選挙では見事選挙区で勝利し、その後の立憲民主党の代表選にも名前が挙がっていたのでまた気になっていた。結果は泉氏になったが、小川さんになってもおかしくない雰囲気だったので、少し驚いていた。

というのも、この本の中には彼が目指す「日本改革原案」のタイムテーブルがあり、その冒頭に「202a年に党の新代表に就任」とあり、その後202b年に政権交代し総理大臣に就任、そして数々の政策に取り組むとあった。この夏の段階では、まず冒頭にある新代表からして厳しそうだと感じていたが、なんと半年もしないうちに代表選に名前が出たので、あれはまったく馬鹿げたタイムテーブルでもなかったのだと、少し反省したのであった。

さて、この映画。十数年にわたり小川氏を追ったドキュメンタリーとなっており、最初に立候補した頃にはまだ幼かった娘さんが、後半には立派に成長し、「娘」というたすきをかけて選挙応援しているなど、時間をかけた作品であることがリアルに感じられる。ただ、当初から映画化の構想があったわけではなく、実際は監督さんが定期的に小川さんと会い、話を聞き、カメラを回した素材を集めたという、ゆるい内容にはなっているが、これはこれでよいかもしれない。

ただ、この映画を見ても、小川氏の印象はあまり変わらなかった。彼の青臭さというのが(いい意味で)当時から一貫したものだとわかったのはある。彼のウェットな演説はどうも個人的には苦手なのだが、あれが自然なスタイルなのだろうというのはわかった。希望の党への合流に関する動きなど、後で後悔している描写もあった。当然政治家とはいえ、いや政治家だからこそ間違うこともあるだろう。これは人間一般に言えることだと思うが、いかに自分の間違いをしっかりと認め、修正できるかどうか。「変わらない」というのは必ずしもいいことなのだろうか。思ったことはいくつかあった。

小川さんについては一つ気になっていることがある。いつだったか、斎藤幸平氏との対談をネットで見たのだが、そこで斎藤さんから、小川さんが考えている消費税増税案について質問があった。これは自分も本を読んだときに非常に気になったことなのだが、そこで小川さんは、「実は増税については今、考え直しているところで、うんぬんかんぬん・・・」と、方向性を変えたようなことを言っていた。これは本当に前向きに考え直したことなのか、それとも単純に斎藤さんに合わせようとその場で適当にごまかしで言ったことなのか、少し判断しにくかった。案の定、先日の代表選でもネットで突っ込まれていたようなので、この辺を今後どう考えるのか、もう少し知りたい。

と思っていたら、長らく入手困難となっていた彼の政策本がKindleでアップデートされていた。目次を見ると、消費税あたりについてもアップデートがあるようだ。そういえば、斎藤さんとの対談でもアップデート版を再販する予定だと近々と話していた。時間を見つけて読んでみようと思う。

www.nazekimi.com

 

韓国映画『記憶の夜』

Netflixで公開されている韓国映画『記憶の夜』。

ヒントをチラ見させながらも、後半はまったく予想がつかない展開を見せる。このようなローラーコースター的展開は、もはや韓国映画ならではと言えるのかもしれない。何が現実で何がそうでないか観客もわからなくなる。

韓国の社会はここ数十年で壮絶な経験をしている。多くの映画ではそういった社会背景がうまく使われていて、この作品もその一つと言えるかもしれない。IMFは僕が大学生の頃だった。あの頃、アメリカの英語学校で知り合った韓国人の留学生仲間は、アメリカで一生懸命勉強し、自分たちが韓国に戻って経済を立て直すと、当時の僕からすると驚くほどくさいセリフを吐いていた。同時に、それほど自国に対する愛情をおおっぴらに表明できるのを、どこか羨ましくも思ったものだ。考えてみれば、彼らはあの時代に韓国からアメリカに来ることができていたわけだし、経済的には裕福な層だったはず。そうではないほとんどの人々は相当苦しめられていたし、実際に多くの人々が路頭に迷ったことだろう。これもまた非常に韓国的な物語である。

しかし、現在経済的な格差は世界中で広がる一方のようだ。この映画で描かれている、世の中に潜む理不尽さのようなもの。それにはきっと一定の普遍性があるはずだ。

www.netflix.comhttps://www.netflix.com/jp/title/80223050

『幸福の黄色いハンカチ』

男はつらいよ』で山田洋次作品が好きになったこともあって、いまさらながら『幸福の黄色いハンカチ』を観た。いやはや、いいじゃない。高倉健がまさに高倉健という感じ。桃井かおりは、いわゆる桃井かおりを少し抑えたような演技で、これも非常によかった。そして基本的には嫌いな部類の武田鉄矢ですら好感が持てた。

倍賞千恵子はさすが。いや、実際は山田監督が凄いのかもしれない。特に最後の、少し遠くから撮った高倉健が演じる勇作と倍賞千恵子が演じる光枝のシーン。声が出てしまった。勇作から自然に荷物を受け取る光枝。少し言葉を交わす。涙をごまかそうとするのか、上を見上げる勇作。そして堰を切ったように、腰を折って泣き崩れる光枝。その肩を抱き、静かに家へと誘う勇作。名作だというのも頷ける。

男はつらいよ』シリーズからは倍賞千恵子のほかにも、寅さんの渥美清に加えて、タコ社長こと太宰久雄、そしておばちゃんこと三崎千恵子がいい味を出していた。ここでの渥美清を観ると、寅さんとは違う人情的な雰囲気がよく出ていてよい。太宰久雄も嫌な宿屋の主人で出ていたが、嫌みな感じが実に面白かった。

しかし、やはり渥美清の声はいい。でも、いいが故に、どの役を演じても渥美清にならざるおえない。ただ声の類似性はあっても、本作ではそれほど「寅さん」ではなかった気がする。これは話し方なのか、動き方なのか、よくわからないが、これもうまさなのか。逆に、倍賞千恵子は、『男はつらいよ』のさくらとはまた声の感じが違って、別の役にひっぱられることがなかったように思う。

 

金達寿『日本の中の朝鮮文化(1)相模・武蔵・上野・房総ほか』

日本の地名に隠れている朝鮮文化の面影。そんなことを考え始めたのは数年前、北九州市に旅行に行ったとき。レンタカーに乗って福岡から門司港に向かう途中、唐戸市場という場所に寄った。到着するちょうど手前、信号で止まっていたとき、交差点の標識をぼーっと見ていたら「唐戸」という名前がふと気になった。

海が目の前だから、きっと近くに港があるのだろう。唐辛子なんて言うんだから、「唐」というのは外国、あるいは韓国を意味していて、外に向けた門「戸」という意味か。きっと外国との交易が盛んだったのだろう。そんなことを考えていた。

その前後の行程、つまり順番はよく覚えていないが、そのときの門司港観光の途中で、下関に有名な場所があると聞き、少し時間ができたので寄り道したのが赤間神宮。これがなんとも雰囲気のある神社で、とても気に入ってしまい、あちらこちらふらふらと歩いていたら、世界遺産がどうといった幕が張られていたのに気がついた。ここも世界遺産に登録されていたのかなぁ、それは知らなかったなぁと見てみると、この神宮が世界遺産に登録されているということではなく、ゆかりのある朝鮮通信使が世界記憶遺産に登録され、それを祝っているということだった。

不勉強なことに、そのときは朝鮮通信使というものを全く知らなかった。その場でスマホを使って調べてみると、その昔、朝鮮半島から日本へ定期的に送られていた使節団のことらしい。「旅に出るたびにいろいろ勉強になるなぁ」と一人で感心していろいろ調べていたら、なんとこの神社の真向かいにも「朝鮮通信使上陸淹留之地の碑」というものがあることを知った。「これは大変だ!」と、なんだか妙に興奮してしまい、もつれる足取りで妻を呼び寄せ、二人で向かった。

そのようなことがあった後、ふと思い出したのが、旅の冒頭で見かけた「唐戸」という地名。この地名が自分の中でまったく新しい姿を見せ始めたのだ。最初の印象というか、自分の勘がそれほど外れていなかったことがうれしく、地名というのは本当に面白いなぁと、また一人で感心していた。きっとこういうことは日本全土であるはずだ。地名からいろいろと想像できることは多く、こういうのも調べて日本を回るのもきっと愉快なはずだと、自宅へレンタカーを走らせながら妻と話したことを覚えている。

と、前書きが長くなったしまったが、まさにそんなことを50年も前にやっていたのが、この『日本の中の朝鮮文化』という紀行シリーズを残した金達寿氏。金達寿については、以前司馬遼太郎との対談本で名前は覚えていて、話す内容も面白くて気にはなっていた。この人は結構有名な文学者で、在日朝鮮人文学という点では第一人者とも言える。とまあ、あくまで文学者であり歴史学者ではないので、その辺は注意して読む必要はあろうが、どこか司馬遼太郎の『街道をゆく』に似た雰囲気で面白い。そして読みやすい。

この第一巻は関東編。もうすぐ関東に行くことになっているので、何か立ち寄れる場所がないかと読んでみた。特に印象に残ったのは高麗神社。文学仲間とのドタバタも面白く、ここは是非行ってみようと思う。

しかし、こう読んでみると、朝鮮文化がいかに広範囲で日本文化に影響していたか。正直驚いてしまった。九州については、地理上、古代から関わりが深かったのは知っていたが、まさか関東でもこれだけ出てくるとは。そしてあとがきの後にもさらに補足されていたりと、まだまだほかにもありそうだ。あくまで金達寿が個人的に気になったところを歩き、そこに暮らす人々の話を聞くというテーマなので、学問的に網羅しようというものではない。後の時代の研究者の参考になればという言葉もあったくらいだ。

このシリーズは司馬遼太郎の『街道をゆく』と同様に、どこか旅に行く前には必ずチェックしようと思う。必ず道中の寄り道のアイデアが出てくるはずだ。

 

久しぶりに古本大量購入

久しぶりに古本屋さんで大量購入。

どこまで読んだか少しうろ覚えだったが、リンカーン・ライムシリーズが安かったので何冊かカゴに入れてから、何かのギアが入ってしまったようで、その後どんどんカゴへ投入。推理小説系はほとんどジェフリー・ディーヴァー

f:id:yushinlee:20211123114232j:image

それにしても今回は比較的状態の良いものがたくさん手に入ってうれしい。岩波文庫の『大江健三郎自選短編集』が100円なのにも驚いた。ほかにも、カズオ・イシグロフィッツジェラルドカポーティ、オースティンなどほんとうに豊作だった。

f:id:yushinlee:20211123114229j:image