ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

『向田邦子ベスト・エッセイ』向田 和子 編

学生の頃、たぶん夏休みだったと思う。父親の仕事の手伝いに客先にかり出されたことがあった。家では寡黙だった父。大人になった今では対等に話せるようになったが、自分が高校生の頃までは父が怖かった。中学1年の頃、英語の宿題だったかテスト用紙だったかを見られ「三人称単数すらわかってないのか」と怒鳴られたことをよく覚えている。貿易を営む父にとって語学の才能がなさそうな息子に幻滅したのだろう。

あの日、その怖かった父親が、客先ではへこへことしながら嘘みたいなお世辞を繰り返していた。これが大人の言う「社会」なのかと恐ろしくもあり、また情けない態度で客に接する父親に幻滅した記憶がある。

f:id:yushinlee:20220718000127j:image

向田邦子ベスト・エッセイ』に収録されている「お辞儀」というエッセイを読みながら、なんだかつい思い出してしまった。夜中に古い思い出を引っ張り出して反芻しながら、ひょっとしたらあれは父親が意図して見せた姿だったのかもしれないと思い直した。父親の思う「社会に出ること」の意味を息子に見せようとしたのだろうか。単純に人手不足で、それこそ猫の手も借りたいというだったのか。後者のような気もするし、前者であってほしいとも思う。

読者としては感度が低い自分にもこんな過去を掘り出させるというのは、やはり向田邦子というのはいいエッセイストだったのだろうと思う。

時代を感じるところも多く見られるが、それがまた今読むと味わい深い。父親との親子関係などは現代の感覚からするとかなり古くさく感じる。一方、水ようかんの話なんかは、自分も水ようかん愛好家であることもあり、変わらない良さを感じることができた。車窓から見えたライオンの話も衝撃的で、そのときの映像がありありと目に浮かぶようだ。その後日談まで笑える。出来過ぎていて疑ってしまうほどだ。

ベスト盤ということでどれも面白いエッセイばかりだが、ベリーベストをあえて一つあげるとすると「手袋をさがす」になるだろう。時代性を感じるエッセイだが(いや、当時としては、時代を牽引する内容だったのだろう)、特にこのエッセイは一気に書き殴ったような勢いというか、「熱量」がたまらない。「これが私の生き方だ」と堂々と主張するエッセイなのだが、そのプロップとなるのが手袋というのがいい。「清貧という言葉が嫌い」とはっきり言うところなんか、今の自分とは価値観は真逆に近いくらい違うのだが、その態度も気持ちがよい。高度成長期という時代もあったのだろう。もし向田邦子が長生きしていたら、平成から令和への現代を見ることができていたら、価値観はどのように変遷したのだろうか。つい想像してしまいたくなる。