ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

ファン・ジョンウン『ディディの傘』|もし自分にも小説を書けたとしたら

韓国の小説家ファン・ジョンウンによる短編集。「d」「何も言う必要がない」の2作品収録。

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「d」

とにかく悲しい話。時代背景はセウォウル号の事故が起きた頃。あの頃の韓国社会というのはなんとも表現できない暗い時代だった。若い命が不条理な形で多数奪われ、国全体が大きな失意に包まれた。その後、その喪失感は大きな怒りと変わり、キャンドル革命へと続いているわけだが、この作品ではそのキャンドル革命直損頃までの雰囲気が描かれている。おそらく、韓国社会はいまだにあのセウォウル号の事故をちゃんとした形で整理できていない。キャンドル革命によって、その機会を失ってしまったような印象もある。社会全体が「なぜこんなことが」という漠然とした疑問と怒りを抱えたまま過ごしていたと思う。

この作品の中で少し不思議な話が出てくる。教室の中に落ちる雷。なぜか温かく感じるモノ。少しファンタジックな雰囲気は、韓国社会がなんとなく抱えていた、理解できない、納得できない世の中の不条理のようなもの、それを暗示しているのだろうか。

しかしだ。人々は何とかして前へ進まなければならない。かすかな、絆とまで呼べない弱いつながりでも、そこから少し光が見えることがある。それにすがるでもなく、ただ生きていく。

「何も言う必要がない」

ある同性カップルの物語。読みながら「彼」という言葉の使い方に唸っていたが、そのこだわりについても訳者あとがきにも説明があった。いや、見事。本を読むことは好きなのだが、自分には物語を書く能力はないと自覚している。それでも、死ぬまでには何か形にするべきではないかと思うことがたまにある。もし、本当に何か物語にすることができて、それが非常に高いレベルでできたとしたら、こんな小説になるのではないかと思った。少し輪郭がぼんやりとした物語。ときにはエッセイのようにも読める文章。またブックガイドとしての役割もある。そして紹介されている本を見ると、知っている、読んだことがある、また読もうとしていた本も多く、なんだか本当に自分が書いててもおかしくない感覚だ(当然文章は数千倍も酷いものになるだろうが)。これはまさに、読書の醍醐味。

先日読んだアナーキストの言葉を借りれば、本書は少し「ズレた」ラブストーリーとも言える。社会的少数者の生きにくさ。キャンドル革命という大きな流れと、そこでも取り残された人々。革命とはいったい何なのだろうか。それは派手な運動の中にはなく、日々の暮らしにこそあるのではないか。この物語でもそう感じた。一方で、現実の世界では何も変わっていないのかと絶望も感じるが、しかし人々のつながりはわずかだがある。そこにわずかながらも希望があるのではないか。それは「d」にも通じる共通のテーマなのだろう。

はじめて読む作家だが、もうすっかり虜になってしまった。自分の古い記憶にも残る雷の思い出。共感できるブックガイド。同世代の作家でこれほどしっくりくるのは、おそらくはじめて。この本に出会えたのがとてもうれしい。

今日はいい日だった。