ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

韓国映画『マルモイ ことばあつめ』|祖国とは国語である

日帝の植民地下にあった朝鮮半島で、日本により名前を変えられ、言葉を奪われつつあった人々の闘いを描いた韓国映画朝鮮語学会事件として知られる事件がベースになっている。

祖国とは国語である

こう言ったのはルーマニア出身の思想家シオランだが、自分たちの言語を守るというのは、まさに祖国を守るための闘いそのものだった。だからこそ、辞書作りというのは、(本人たちが意識していたかどうかにかかわらず)ああいう時代背景ではまさに独立をかけた闘争だったのだ。ハングルの詩を書き続けた尹東柱が投獄されたのも、このような背景があってのことだろうと思う。

テーマとしては非常にシリアスな内容だが、ユ・ヘジンが主演していることもあってちょうどいい「ゆるさ」も出ていた。韓国では万人受けするだろう内容。日本人は当然圧倒的な悪者役で登場するので、日本での受けはどうかわからない。本当は日本の役者がやるとまだ作品が引き締まるのだろうが、やりたがらなかったのか、オファーしなかったのかわからないが、すべて韓国の役者がやっていたように見えた。

非常に印象的だったのは、最後のシーンでユ・ヘジンが演じる人物の息子が妹をおんぶしているシーン。日本人ならきっと『火垂るの墓』のシーンを思う出すだろう。あるいは、有名な「焼き場に立つ少年」の写真を思う人もいるかもしれない。あれが実際に『火垂るの墓』のオマージュだったのか、何らかの隠喩だったのかはわからないが、そうだとすると、そこには映画製作者のメッセージが透けて見えてくる。韓国の民衆が闘っていたのは日帝であり、日本の民衆ではなかったのだろうと。実際に、独立を目指して闘う人々の敵には、「親日派」として動く自国民も含まれていた(主役の父親のように一種の諦めからそうなった人も多かっただろう)。短絡的に民族間・国家間の争いとしてしまうと見誤ってしまう。そして現代の日韓関係は、その見誤りに振り回されているように見える。

www.ghibli.jp

www.asahi.com

【関東旅】高麗神社参拝

12月の旅の話。

昨年に読んだ金達寿『日本の中の朝鮮文化(1)相模・武蔵・上野・房総ほか』にインスパイアされ、この本で紹介されていた高麗神社へ参拝してきた。

yushinlee.hatenablog.com

場所は埼玉県日高市。都内から中央線で八王子駅へ向かい、八高線に乗り換えて高麗川駅へ。駅から徒歩20分ほどの場所にある。宿を取っていた神田駅からだったので、なんだかんだで片道2時間ほどかかったが、ゆっくりと電車で移動するのも楽しい。

f:id:yushinlee:20211225232049j:image

11時半頃に高麗川駅に到着。神社周辺では食べるところもあまりなさそうだったが、駅前にちょうど韓国料理があったので、そこで昼食をいただく。さすが場所が場所だから韓国料理屋があってもおかしくないが、実際は比較的最近できたフランチャイズのレストランのようだ。店内ではBTSの音楽がエンドレスでかかっていた。まだ客も少ない時間帯。お店の女性も手持ち無沙汰からか、音楽に合わせて小刻みに体を揺らしていた。

f:id:yushinlee:20211225232125j:image

スマホ情報にはネギチジミが美味しいとあった。普段はあまり食べられない水冷麺も注文。韓国では本来、水冷麺は寒い時期に食されたと聞いたことがある。あまり期待していなかったが、水冷麺もなかなかの味わい。ネギチジミもパリッとしていて食感もよい。なんだか久しぶりに韓国に来たかのようだ。当然、旅気分も高まる。

f:id:yushinlee:20211225232128j:image

昼食後、駅前で地図を簡単に確認し、スマホの地図をたよりに高麗神社へ向かった。金達寿の本では桑畑が広がっていたという描写があったと記憶しているが、さすがに2021年には比較的大きなスーパーもあったりと、風景は変わっていた。とはいえ、思ったよりもまだ田舎風景は残っており、20分と少し長い道のりだったが、金達寿の歩いた道を想像しながら歩く。気持ちのいい散歩道。

f:id:yushinlee:20220106121628j:image
f:id:yushinlee:20211225232236j:image

駐車場に入るとさっそく「チャンスン」という将軍標がお出迎え。これは朝鮮半島の風習の一つで、日本の神社とは思えない景色。

f:id:yushinlee:20211225232307j:image

入口付近の説明板にはこうあった。

f:id:yushinlee:20211226153937j:image

高麗神社

高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光(こまこきしじゃっこう)を祀る社である。

(中略)

(唐と新羅との)乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが、霊亀2年(716年)そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。

高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王寂光の子孫によって社が護られており、今でも多数の参拝客が訪れている。

つまり、唐と新羅に攻められた高句麗の王族が日本に逃れ、渡来人・帰化人としてこの辺に住み始め、開拓にあたった。現在もこの地域の始祖的な存在として崇められている。

f:id:yushinlee:20211225232348j:image

本殿に向かう途中には、大韓帝国最後の皇太子となった李垠殿下と、その李垠の妃となった日本の皇族方子妃が手植えされたという杉の木もあった。

ja.wikipedia.org

とても立派な本殿。ちょうど結婚式も執り行われていた。参拝客も少なく、静かに過ごすことができた。普段はあまり買わないのだが、長い旅路だったこともあり、せっかくだからと三足鳥守というお守りを土産に買った。三足烏というのは伝説上の生き物で、太陽を象徴する鳥。高句麗では火鳥とも呼ばれていたようだ。

f:id:yushinlee:20211225232605j:image

お守りと一緒に「高麗神社と高麗郡」という有料の冊子も買い求めた。こういう書籍・冊子は、後で欲しくなっても近所の本屋に取り寄せるといったこともできないのだ。

さらに、金達寿の本では宮司に見せてもらったとあった高麗一族の系図も、複製ではあるが展示されているものを見ることができた。

f:id:yushinlee:20211225232637j:image

このような系図を韓国ではチョクポ(族譜)といって、今でも韓国の各家庭(一族)で管理されている。日本では戦争中のごたごたで先祖を遡ることが難しい人も多いだろう。自分の場合でも、母方の曾祖父については聞いたことがあり、子供の頃に一人で家を出て身を起こしたと言われている。その前の先祖についてはまったくわからないわけだ。先祖が誰であろうと人間の価値はまったく変わらないというのはわかっているつもりでも、やはり先祖をたどることができるというのは正直羨ましい。妻の家族でも、親戚がしっかりと管理していると聞いた。

本殿に向かって左側には山を少し登る道があり、先に水天宮という場所がある。10分程度だがしっかりとした登り道。

f:id:yushinlee:20211225232713j:image

せっかくここまで来たのだからと、もう少し歩いて聖天院にも寄ってきた。距離としては徒歩で十数分程度。

f:id:yushinlee:20211226154400j:image

聖天院の入口手前には高麗王若光のお墓がある。韓国語の絵馬が多かったり、韓国焼酎が供えられていたりと面白い。ここだけは無料で見に来ることができる。

f:id:yushinlee:20211226144635j:image

聖天院もゆっくりと歩いて見て回った(拝観料300円)。思ったよりもずいぶん広い。王廟を見ることができたからいらないかと迷ったが、入って正解だった。

f:id:yushinlee:20211226155401j:image

若光の像もある。当然想像上のものだろうが、やはりどこか朝鮮半島の雰囲気がある。
f:id:yushinlee:20211226154406j:image

本堂の左側にも奥に進める道があった。何かあるのだろうかと進んでみると、その先の空間に驚いた。そこにあったのは「在日漢民族慰霊塔」。なんだか日本とは思えない空間が広がっていた。中央には日本最大級とされる石塔がずんと立っている。

f:id:yushinlee:20211226154354j:image

そしてその周囲を、朝鮮史に名を残している偉人の像が囲む。

f:id:yushinlee:20211226154343j:image

感覚的なものだが、空間的な使い方が日本的な感覚よりもずいぶんと広い。台湾の中正紀念堂広場でも圧倒的に広い空間に驚いた記憶がある。韓国の天安にある独立記念館もそうだった。土地の使い方の価値観が違うのだろうか。何かの隠喩が込められているのか。日本人的な感覚では「無駄に広い」とすら感じてしまうのだが、あの感覚は何だろう。日本の広大な神社に行ってもそうは感じないのだから不思議だ。

ここは戦争・震災等で犠牲となった身元不明の在日韓民族無縁仏の慰霊と供養を目的に建立された場所で、発起人は在日一世の尹炳道氏。

石塔の左側にはソウルのパゴダ公園にある八角亭を縮小したミニチュア版とも言えるものがあった。韓国の建材を使い、韓国人の大工が施工と、力の入れようが素晴らしい。

f:id:yushinlee:20211226180834j:image

石塔の後ろ側が少し丘のようになっていて、遊歩道があったので進んでみると、壇君の像があった。これにも驚いた。日本に壇君の石像があるとは。

f:id:yushinlee:20211226154346j:image

ja.wikipedia.org

それにしても、日本に高句麗をゆかりとする神社があるとはこの年になるまでまったく知らなかった。日本にいながら異国の風景を楽しめるだけでなく、古代からの日韓のつながりも感じられる。異国での戦乱を逃れた人々を受け入れ、共に生きようと土地を提供した。当然ながら受け入れる側にもそれなりのプラスはあってのことだろうが、そういう時代もあったことは覚えておきたい。

f:id:yushinlee:20211226154351j:image

 

韓国のサイコサスペンス映画『死体が消えた夜』

韓国のサイコサスペンス映画『死体が消えた夜』。主演は『殺人の追憶』でも有名なキム・サンギョン

若い学生との不倫の果てに、完全犯罪となるはずの方法で妻を殺めた大学教授。しかし、ある日その妻の死体が盗まれてしまう。誰が死体を盗んだのか。妻は生きているのか。「そのパターンがあったかぁ!」と地団駄を踏んでしまうエンディングまで、よくできた心理サスペンス映画。

どこかポアロ的なおとぼけさをまとった刑事役のキム・サンギョン。やはりその演技が光った。この人はシリアスもコメディも巧い。

ルールなんて自分たちには適用しないとばかり自由奔放に振る舞う韓国財閥の富者ども。韓国映画ではあるあるすぎて、斬新さがまったく感じられなくなってしまった要素になった。しかし、復讐劇というのは不思議と飽きないもので、きっとこれは人類史を見ても不変のテーマなんだろう。

klockworx-asia.com

韓国映画『女は冷たい嘘をつく』|痛い思いをするのはいつも貧乏人だ

韓国社会の暗部を描いた失踪ミステリー(?)。男性中心で、かつ外国人に対して排外的な社会。韓国でも大きな問題だが、日本にもほぼそのまま通じるテーマ(そしてなかなか改善されないのも共通している)。

痛い思いをするのはいつも貧乏人だ。やりきれないよ。もういい。テッソ・・・

- 看護師のおばちゃん

主演のオム・ジウォンとコン・ヒョジンがどちらも素晴らしい演技を見せている。素人目にも、オム・ジウォンの演技というのが凄いのはわかり、エンディング前の警察署内でのあの叫び声なんかは鳥肌が立つほど。男性キャラクターの駄目さ・だらしなさも目立ち、同性としてイライラする。これも演技・演出が優れていたからだろうと思う。

登場人物は大きく二つの集団に分けて描かれている。男性中心で、金持ち中心、排他的な社会を象徴する人々。多くの男性キャラクターのほか、コン・ヒョジンの義母、風俗店の店長など女性もいる。それに相対するのが主演の2人の女性、一部の看護師たち。そして両方に足を突っ込んでいる人物も。そう、自分だって、知らないうちに加害側になっていることだってあるのだ。完全な善人も、完全な悪人もいない。今日の加害者が、明日の被害者になることだってある。フェミニズムといっても女性だけでない。外国人の権利問題についても、外国人だけではない。社会というのは入り組んでおり、だからこそある程度の複雑性を備えた「面白い」社会ができているのだ。自分は絶対に差別者なんかじゃない。そう固く信じている人ほど、自分を疑った方がよい。

「母は強し」という表現がある。恐らく一昔前ならその言葉だけで終わっていたかもしれないが、当然この作品に秘められているのはそんなものだけでない。そんな単純化だけではだまされることもない時代。そう考えれば、少しだけでも私たちは前に進んでいるのかもしれない。程度はどうであれ。

この映画の公開は2016年とあるが、日本でも一大ブームとなった『82年生まれ、キム・ジヨン』も原作は2016年。韓国には社会的にこういった作品が生まれる雰囲気があったのだろうか。世界的に「#MeToo運動」が大きくなったのは翌年の2017年なので、それよりも1年先駆けていることになる。フェミニズム運動についての個人的な無知は恥じるしかないが、隣国の韓国で先駆ける形でこういう問題が作品化されていたというのは、やはり心強く感じる(ただし、韓国ではエンターテイメント業界での女性差別問題が非常に深刻だった、そして政治的な意見を「声に出しやすい」社会だったという側面もあるとは思う)。

それにしても『女は冷たい嘘をつく』という邦題がどうもしっくりこない。原題のままだと「ミッシング:消えた女」だが、それだと欧米映画に埋もれてしまいそうで、たしかにこの邦題のほうがインパクトはある。いかにも韓国映画っぽいタイトルだ。しかし、少しミスリーディングではないか。あくまで個人的な解釈の範囲だけども、「冷たい」というのはやはりきついと思う。「女に冷たい」ならわかるが。こういった違和感込みで付けた邦題なのだろうか・・・。

 

マ・ドンソク主演『悪人伝』|3つの狂気が入り乱れる韓国のバイオレンスアクション

マ・ドンソク主演のバイオレンスアクション。ノワール映画のようでもあり、ほっとさせるコメディ要素もあり、思いのほか楽しめた。刑事vsヤクザ、刑事vs殺人鬼というのはよくあるが、この3者が交差するというのは結構珍しい。とはいえ、それほどプロットも込み入ってないので、疲れた頭でも安心して楽しめるアクション映画。それも結構上等なものだ。

人類最強の肉体派ヤクザ、マ・ドンソク。警察内でもめてばかりの暴力刑事、キム・ムヨル。そして狂気の連続殺人犯、キム・ソンギュ。まさにヤクザ、刑事、悪魔のバトルロワイヤル。3人が3人とも役にどハマりしている。そして3人とも暴力的。映画の殺人犯というと知的なタイプが多いが、この作品ではどちらかというと力ずくで前へ前へ進むタイプ。子供の頃に虐待を受けていたり、また自室にも哲学書があったりと、殺人犯の若干の描写はあったが、そこはあまり深掘りされていなかった。形容詞としての「狂気の」で止まっている。少し物足りない気もしたが、その辺はメインのテーマではなかったのだろう。掘り下げたところで、二番煎じ感はある。

この映画に斬新なところがあるとすれば、この3つの勢力という組み合わせ。そしてヤクザと刑事の不思議な連係プレイ・連帯感。ブロマンスというわけでもないが、ぶつかりながら連携し、またぶつかり、しかし肝のところではしっかりと手を組む。エンディングも無理はない。

マ・ドンソクは好きでも、マ・ドンソク主演映画はなぜか途中で飽きてしまうパターンが多い。でもこれは久しぶりに楽しめた。たぶん今回は主役レベルが3人いたからだろう。やはり1人だけで主演させるより、少し裏に回るくらいのほうがしっくりくる。

klockworx-asia.com

悪人伝(字幕版)

悪人伝(字幕版)

  • マ・ドンソク
Amazon

 

韓国映画『記憶の夜』

Netflixで公開されている韓国映画『記憶の夜』。

ヒントをチラ見させながらも、後半はまったく予想がつかない展開を見せる。このようなローラーコースター的展開は、もはや韓国映画ならではと言えるのかもしれない。何が現実で何がそうでないか観客もわからなくなる。

韓国の社会はここ数十年で壮絶な経験をしている。多くの映画ではそういった社会背景がうまく使われていて、この作品もその一つと言えるかもしれない。IMFは僕が大学生の頃だった。あの頃、アメリカの英語学校で知り合った韓国人の留学生仲間は、アメリカで一生懸命勉強し、自分たちが韓国に戻って経済を立て直すと、当時の僕からすると驚くほどくさいセリフを吐いていた。同時に、それほど自国に対する愛情をおおっぴらに表明できるのを、どこか羨ましくも思ったものだ。考えてみれば、彼らはあの時代に韓国からアメリカに来ることができていたわけだし、経済的には裕福な層だったはず。そうではないほとんどの人々は相当苦しめられていたし、実際に多くの人々が路頭に迷ったことだろう。これもまた非常に韓国的な物語である。

しかし、現在経済的な格差は世界中で広がる一方のようだ。この映画で描かれている、世の中に潜む理不尽さのようなもの。それにはきっと一定の普遍性があるはずだ。

www.netflix.comhttps://www.netflix.com/jp/title/80223050

金達寿『日本の中の朝鮮文化(1)相模・武蔵・上野・房総ほか』

日本の地名に隠れている朝鮮文化の面影。そんなことを考え始めたのは数年前、北九州市に旅行に行ったとき。レンタカーに乗って福岡から門司港に向かう途中、唐戸市場という場所に寄った。到着するちょうど手前、信号で止まっていたとき、交差点の標識をぼーっと見ていたら「唐戸」という名前がふと気になった。

海が目の前だから、きっと近くに港があるのだろう。唐辛子なんて言うんだから、「唐」というのは外国、あるいは韓国を意味していて、外に向けた門「戸」という意味か。きっと外国との交易が盛んだったのだろう。そんなことを考えていた。

その前後の行程、つまり順番はよく覚えていないが、そのときの門司港観光の途中で、下関に有名な場所があると聞き、少し時間ができたので寄り道したのが赤間神宮。これがなんとも雰囲気のある神社で、とても気に入ってしまい、あちらこちらふらふらと歩いていたら、世界遺産がどうといった幕が張られていたのに気がついた。ここも世界遺産に登録されていたのかなぁ、それは知らなかったなぁと見てみると、この神宮が世界遺産に登録されているということではなく、ゆかりのある朝鮮通信使が世界記憶遺産に登録され、それを祝っているということだった。

不勉強なことに、そのときは朝鮮通信使というものを全く知らなかった。その場でスマホを使って調べてみると、その昔、朝鮮半島から日本へ定期的に送られていた使節団のことらしい。「旅に出るたびにいろいろ勉強になるなぁ」と一人で感心していろいろ調べていたら、なんとこの神社の真向かいにも「朝鮮通信使上陸淹留之地の碑」というものがあることを知った。「これは大変だ!」と、なんだか妙に興奮してしまい、もつれる足取りで妻を呼び寄せ、二人で向かった。

そのようなことがあった後、ふと思い出したのが、旅の冒頭で見かけた「唐戸」という地名。この地名が自分の中でまったく新しい姿を見せ始めたのだ。最初の印象というか、自分の勘がそれほど外れていなかったことがうれしく、地名というのは本当に面白いなぁと、また一人で感心していた。きっとこういうことは日本全土であるはずだ。地名からいろいろと想像できることは多く、こういうのも調べて日本を回るのもきっと愉快なはずだと、自宅へレンタカーを走らせながら妻と話したことを覚えている。

と、前書きが長くなったしまったが、まさにそんなことを50年も前にやっていたのが、この『日本の中の朝鮮文化』という紀行シリーズを残した金達寿氏。金達寿については、以前司馬遼太郎との対談本で名前は覚えていて、話す内容も面白くて気にはなっていた。この人は結構有名な文学者で、在日朝鮮人文学という点では第一人者とも言える。とまあ、あくまで文学者であり歴史学者ではないので、その辺は注意して読む必要はあろうが、どこか司馬遼太郎の『街道をゆく』に似た雰囲気で面白い。そして読みやすい。

この第一巻は関東編。もうすぐ関東に行くことになっているので、何か立ち寄れる場所がないかと読んでみた。特に印象に残ったのは高麗神社。文学仲間とのドタバタも面白く、ここは是非行ってみようと思う。

しかし、こう読んでみると、朝鮮文化がいかに広範囲で日本文化に影響していたか。正直驚いてしまった。九州については、地理上、古代から関わりが深かったのは知っていたが、まさか関東でもこれだけ出てくるとは。そしてあとがきの後にもさらに補足されていたりと、まだまだほかにもありそうだ。あくまで金達寿が個人的に気になったところを歩き、そこに暮らす人々の話を聞くというテーマなので、学問的に網羅しようというものではない。後の時代の研究者の参考になればという言葉もあったくらいだ。

このシリーズは司馬遼太郎の『街道をゆく』と同様に、どこか旅に行く前には必ずチェックしようと思う。必ず道中の寄り道のアイデアが出てくるはずだ。