ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

映画『泥の河』

戦後間もない大阪を舞台とした映画。原作は宮本輝。製作は1981年。

主人公は川辺でうどん屋を営む3人家族と、川向かいに「引っ越してきた」家船で暮らす3人家族(家船に住む家族の母親は友情出演に近いが)。少年2人の友情、家族の絆、そして生々しい戦争の傷が見事に描かれている。

「もはや戦後ではない」と言われた1956年。しかし、その一方で取り残された人々も多い。家船の家族は、戦後父親を失い、その結果だろうが今は母親は体を売って生計を立てている。うどん屋を営む家族も、お隣の国で言う「半地下」とも言える環境で暮らしている。こちらの暮らしぶりは一見幸せそうだが、父親には以前捨てた前妻がいたり、あるいは時より見せる戦争の記憶だったりと、やはり影の部分が存在する。

映画の冒頭に代表されるように、戦争と死の影が色濃い。

映画の中頃で、うどん屋の親父がこうつぶやく。

もう戦争はこりごりや言うといてや、隣の国の戦争で銭もうけして
周りはどんどん、どんどん、立派になっていきよるのに
生きとっても、やっぱりスカみたいにしか生きられへんのかなあ、わいら

普段は明るく、まさに理想的な父親像といえる人物だが、こんな彼も戦後の生きにくさに暗い表情は隠せない。

戦後の復興には、光と影が当然あり、そこにはどうしようもない格差が存在する。そんなことには無感であるはずの子供ですら、この映画で描かれているように、深く影響を与える。

印象的だったのが最後のシーン。家船の家族が去って行く中、船を追いかけるうどん屋の少年。最初はただ無言で走り、追いかけていたが、徐々に家船の少年の名前を口にし始め、最後には「きっちゃん!」と叫ぶ。おそらく、「去る彼らを止めてはいけないのでは」という気持ちがあったのだろう。自分が原因だという後ろめたさも。だが最後には悲しみが勝り、名前を叫んでしまう。これがまさに、子供にすら影響する「影の濃さ」だったんだろうと思う。

泥の河

泥の河

  • 発売日: 2018/03/01
  • メディア: Prime Video
 
螢川・泥の河

螢川・泥の河

 

 

井伏鱒二『黒い雨』

おおい、ムクリコクリの雲、もう往んでくれえ、わしらあ非戦闘員じゃあ。おおい、もう往んでくれえ

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毎年この時期には太平洋戦争関連の本を読んでいる。今年はコロナで頭がいっぱいだったのか、気がついたら8月6日を迎えていた。これはいかんと本棚を見たところ、自然と本作に目の焦点が合った。

学生時代に読んだはずだと思い、かれこれ20数年ぶりの再読かと読み始めたところ、まったく中身を覚えていない。どうやら勝手に読了と思い込んでいたらしい。先日ふと古本屋で見つけ、積んでおいたのだが、これが正解だった。

さて、原爆文学といえば誰もが思い浮かべるであろう本作。話は二つのタイムラインをそって進む。敗戦数年後、なんとかある程度落ち着いた生活を過ごしている、どこにでもいそうな善良な夫婦と、共に暮らす姪。それと並行して、日記という形で語られる、数年前の広島での被爆前後の話。前半は日記を通して原爆の日、8月6日を中心とした話で主に進み、後半になると「今」の物語が一気に進む。そして同時に日記も敗戦の日へと続く。

広島の原爆体験と一般市民の生活、そしてその苦しみと死を描いている以上、楽しい読書体験にはなりえないが、しかし文字を追うことを止められない。日記という形式もあって、難しい表現もない。方言も生き生きと聞こえる。あくまで広島の人々が語る物語であり、老若男女問わず誰でも読める作品だろう。

わしらは、国家のない国に生まれたかったのう

また、地味ではあるが、最後の玉音放送のシーンや養魚池での祈り、風景として強く残る。井伏鱒二というと、ほかには『山椒魚』という作品があったと思うが、純粋に魚が好きだったのだろうか。

それにしても、原爆とはいかに恐ろしいものか。日本に生まれ、このような話にはある程度「慣れて」はいたと思うが、毎回暗澹たる気分になる。本作では、原爆の爆風などで即死に近い形で亡くなった人々はもちろん、その後の「黒い雨」に打たれて病んでいく姿など、原爆の暗さがよく出ている。

しかし、このような作品をどれほど読んで学び、想像力を働かせたとしても、そこには限界がある。井伏鱒二も主人公の口を借りてこう言っている。

しかし、自分で見たことの千分の一も、本当のことが書けとらん。文章というものは難しいもんじゃ

できるだけ多くの声を聞き、読み、想像し、伝え、忘れないことだけしかできない。まさに文学の意味がここにあると思う。

ただ耳鳴りは日夜ひっきりなしに遠寺の鐘のように鳴りつづけ、私自身にはそれが原爆禁止を訴える警鐘に聞き取れる

ちなみに、本作に出てくる日記だが、ベースとなった日記が実際に存在し、なんと現在『重松日記』という名前で出版されている。本作と比較しながら今度ぜひ読んでみたい。 

重松日記

重松日記

  • 作者:重松 静馬
  • 発売日: 2001/05/01
  • メディア: 単行本
 
黒い雨(新潮文庫)

黒い雨(新潮文庫)

 

ディケンズ『オリバー・ツイスト』

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「すぐ前をご覧ください、お嬢様。その暗い水面を。心配したり、悲しんでくれたりする人もなく、川に飛び込んで人生を終える人なんて少しも珍しくありませんわ。何年先か何ヶ月先かわかりませんが、私はそんな風に人生を終えるんですわ、きっと」

ディケンズの『オリバー・ツイスト』。文庫で800ページを超える大作で、手元にずっしりとくる一冊。新訳だったこともあり、非常に読みやすい。これを手元に置いておけば、原書にもチャレンジしやすいはず。

さて、舞台は19世紀の英国。主にロンドンを中心に描かれている。主役はタイトルにあるオリバー・ツイストという少年だが、全編を通して、特に後半に入ると、オリバー以外のキャラクターが生き生きとしていて、正直誰が主役なのかわからないほど。個人的には悪者どもが気に入った。

悪者どもといっても、現代小説にもよくあるような、妙に美化したりヒーロー仕立てにするわけでなく、悪者をそのまま描写している。当時の英国社会を批判する目的もあり、そのあたりは元ジャーナリストの視点が生きているのだろう。

見事と感じたのは、キャラクターの対比。主役オリバー、その対比となる、似た環境で育った不遇のディック(ほとんど登場はしないのだが)。また、天使のような存在で周囲の人や読者を癒やしたローズ、その対比となるは間違いなく悪者グループにこき使われていたナンシー。同じような(ローズとナンシーにも同じような愛を感じられたはず)心を持って生を受けたはずが、なぜこうも違った結末になってしまうのか。それがまさにディケンズが批判しようとしていた当時のイギリス社会なのだろう。

個人的には、ディックがなかなか出てきそうになかったり、もっと最後の描写も詳しくしていいのではと思うのだが、それはあえて描写を避けたのかもしれない(あの程度の描写で読者の心に残るのはすごい)。あるいは、まだ作家として若かったディケンズの甘さだったのか。

そして繰り返しになるが、リアルに描写される悪役。薄汚れた存在であり、見栄を張ったり、嘘をついたり。そんな中で、時にとにかく情けなくてかっこ悪い面もしっかり描かれている。同時に、訳者の解説にもあったと思うが、どこか悪者に対する同情心のようなものも残っている。コメディチックな描写からもそれが見て取れる気がする。

悪者というのは、果たして「根が腐っている」のか。ディケンズはあくまで環境に原因があると考えていたのではないか。実は自分もそう信じている節があり、それもあって、なんだかすっかりディケンズファンになってしまった。

人間は「生まれ」で決まってしまうのか。あるいは、「生まれ」によってもたらされる環境によって大きく影響されるのか。そこから救うにはどうすればよいのか。

持つものと持たざるものの断絶。

先日見た『パラサイト 半地下の家族』のテーマにも通じるところがある。

「私が飛びこむ音があなたのお耳に届くはずはありませんわ。そんな恐ろしいこと、神様がお許しになるはずがありませんもの!」

持つものには、持たざるものの悲鳴や嘆きなど聞こえない。それはたぶん、現代の社会でもそれほど変わっていない。

オリバー・ツイスト (光文社古典新訳文庫)

オリバー・ツイスト (光文社古典新訳文庫)

 
パラサイト 半地下の家族(字幕版)

パラサイト 半地下の家族(字幕版)

  • 発売日: 2020/05/29
  • メディア: Prime Video
 

 

池上英洋『よみがえる天才2 レオナルド・ダ・ヴィンチ』と旅の思い出

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レオナルド・ダヴィンチの生涯と作品をざっと紹介する入門書。

芸術だけでなく発明家としても知られる、万能型の天才。実はかなりの努力家。そして未完成品ばかり生み出していたため、実際に完成品として残っているものが少ない。ヨーロッパに行くと、ミケランジェロの作品はゴロゴロと見つかるが、ダヴィンチは確かにあまり見た記憶がない。手帳やメモの類いはよく見た気はするのだが。

以前イタリアに旅行したとき、周囲で聞こえるイタリア語では、ダヴィンチのことをみな「レオナールド」と呼んでいて、なんだか愛着あふれる呼び方に感動していたのだが、どうやらダヴィンチというのは地名由来のもので、本人の名前と呼べるのは「レオナルド」の部分とか。つまり、「ダヴィンチ村のレオナルド」ということのようだ。これからは積極的にレオナルドと呼んでいきたい。

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サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(2012年6月)

最後の晩餐は8年前に見に行ったことがあった。事前予約が必要で、時間も15分くらいしか見れなかったが、予想よりも規模が大きく驚いた。芸術作品の細かいところはよくわからないのだが、やはり大きな作品にはいつも驚かされる。レオナルド・ダヴィンチの名声を確定させた作品というのもうなずける。

当時はすでに修復された状態ではあったが、それでもまだ損傷具合ははっきりと出ていた。ただ、本書にもあるが、レオナルドが採用した技法が誤っていただけでなく(彼は時間をかけて取り組むスタイルのため、こうした壁画は基本的に向いていなかったようだ)、その後も隣室である厨房の影響、侵略軍、爆撃など、今残っているだけでも奇跡とも言える作品ではある。なんとか未来の世代にも残してほしいものだ。

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最後の晩餐のパネル展示(2012年6月)

本書ではミケランジェロとのライバル関係についても少し触れられていた。順位的にはレオナルド・ダヴィンチ→ミケランジェロラファエロという印象だったが、それはあくまで年齢の話で、当時は収入面や作品数、知名度など、ミケランジェロの方が上だったとか。本書では当時の収入も現代の日本円に換算されておりわかりやすかったが、大規模なプロジェクトにもなると、ミケランジェロクラスでは億レベルで受注していたと。現代的な感覚ではそれでも少ない気もするが、さすがと驚いた。

レオナルドも芸術だけに集中して取り組んでいればとも思うのだが、そこは万能人のつらいところなのか。興味があっちこっち行ってしまい、なかなか作品を完成させることも少なかったという。なんだか現代にも通じそうな話でもある。

比較的若い読者層を対象に書かれている本作(図書館でもYAに分類されていた)。それほど芸術に詳しくなくても読みやすいので、レオナルド・ダ・ヴィンチの概要をざっと追うには最適な入門書だと思う。口絵に作品がカラーで収録されているが、さすがにサイズが小さいため、高解像度の画像ファイルをネットを参照しながら読むのがおすすめ。

中島岳志『保守と立憲』

中島さんのことを知ったのは、NHKの100分de名著 オルテガ「大衆の反逆」。そこで語られたリベラル保守、死者と共に生きるという考え方に惹かれ、図書館で見つけた本書を手に取った。

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様々な媒体に掲載された評論・論考を集めた本書。章立てられてはいるが、バラバラ感は拭えない。

肝となる部分は、100分de名著で語られたこととほぼ同様。どれも短めの論考ということもあり、思ったほど深くは理解が進まなかった。オルテガなど、ほかの書籍を当たった方がよいかもしれない。

3章では、立憲民主の枝野さんとの対談もあった。枝野さんは数年前の選挙でも「リベラル保守」を名乗っていたし、中島さんとは親和性が高いのは予想通りだが、とにかくボリュームが寂しい。

役立ちそうな考え方としては、こちらのリベラル - パターナル、リスクの社会化 - 個人化を図式化した図。リベラルと保守は対立軸として取られがちだが、この図でいくとリベラルは左側、保守は(ここにあえて入れるならだが)上側に該当する。リベラルの対立軸は権威主義的・父権制的な「パターナル」であると。

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中島さん曰く、保守とは、これまで歴史的に積み重ねてきた先人の英知を大切にしながら、人間の理性を懐疑的に捉え、永遠に「微調整」する姿勢である。人間の理性が絶対になりうると考え、急激に変えてしまうことに「ノー」と言う。そこに、他者を理解し受け入れるという「寛容」的なリベラルな姿勢が足されると「リベラル保守」となる。相手との対話を通じて、少しずつ世の中をよくしていこう。こういうことだろう。

個人的には、人間の理性を懐疑的に捉えるというところが響いた。至極まっとうな考え方だと思う。

ソフトウェアのアップデートを考えるとわかりやすい。大きな変更がなされるメジャーアップデートにより、ソフトウェアの外観や機能が大きく変わると、従来のユーザーがよく文句を言う。

「前の方が使いやすかった」

「便利だったのになぜ変えた」

「改悪だ」

もちろん開発者はよかれと思って(他意が含まれる場合もあるが)行っているのだが、大きな改変が逆効果となることも多い。

これで完成だというソフトウェアも存在しない。基盤となるOSやプラットフォームは時間と共に更新され、ソフトウェアやデバイスの使い方も変わる。ソフトウェアには必ずバグが存在する。常に修正・更新は必要だが、大きく変えるときは気をつけなければならない。開発者も自分の理性を疑うべきなのかもしれない。ソフトウェア開発の思想にも対立軸などあるのだろうか。

NTT出版による出版中止騒動(P143)も少し触れられていたが、これも興味深い。確か昨年頃も幻冬舎が炎上していたが、基本的な問題は同じだろう。幻冬舎の時のように声が上がってないだけで、どれほどの声が抑圧されているのか。なんとも暗い気持ちになった。

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https://www.nttpub.co.jp/news/2013/20130306.html

ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』

失明した男は両手を眼にもっていくと、身ぶり手ぶりで言った。なんにもない、まるで霧にまかれたか、ミルク色の海に落ちたようだ。

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感染者が視力を失い、すべてが真っ白に見えてしまう謎の伝染病「白い悪魔」が広がった世界を描いた作品。

独特な語り口だ。改行は最小限に、発言もカギ括弧なしでひと続きでつらつらと書かれる(これはサラマーゴ独特の語りで、本作に限定されないらしい)。人物の名前も明かされない。夢を見ているような読書感。読み手を一種の失明状態にさせてしまう。これが個人的にはしっくりきて読み心地はよかった。

自分でも不思議だったのは、終盤近くまで、なぜか日本の風景を思いながら読んでいた。日本の病院。アパート。公園。これも読者の「失明状態」を誘う語り口の効果だろうか。

それにしても壮絶な世界だ。社会が崩壊した「北斗の拳」的な世界ともいえなくもないが、視力が失われているとこうなってしまうのか。

「人類がみんな視力を失ったらどうなるだろう」

誰でも思いつきそうな発想とも言えるが、それが緻密に語られている。スタイルさえ気にならなければ、ぐいぐいと読めてしまうはず。

人類が視力を失うと、「私たちと彼ら」という差別的な意識はかなり軽減されるのかもしれない。実際、私も本書を読みながら日本の風景を思い描いてしまったように、そこに具体的な文化や人種といったものは感じられなかった。社会の仕組みもそうだが、私たちの考え方全般がいかに視力に頼っているのか。誰でも思いつきそうな発想だとしても、やはりそこを突いて物語化したことはすごいと思う。

ちなみに、本書の著者であるジョゼ・サラマーゴポルトガルの作家。ノーベル賞も受賞している。

本書は長らく絶版状態が続いていて、たしか今年冒頭くらいに文庫化の知らせを目にしていた。伝染病を扱った作品ということもあり、コロナが広がってからは再度入手困難になっていた。 

白の闇 (河出文庫)

白の闇 (河出文庫)

 

ポルトガルの作家ときいて、時代的にもペソアと近いんじゃないかと思っていたが、まさにペソアを題材とした本を出していた(訳者のあとがきでも触れられている)。この本の存在は知っていたが、まさか同じ著者とは。次はこれを読んでみよう。

 

サマセット・モーム『コスモポリタンズ』

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ひょっとすると自分には(まだ)ほかの生き方があるのではないかという一種の開放感を感じた一冊。

「こんな話がありましてね・・・」で始まりそうな小噺が満載の短編集。こんなおじさんが親戚にいたら楽しいに違いない。

元は「コスモポリタン」という雑誌向けに書かれた短編を集めたもので、短編というよりかはショートショート(最後の解説には、ショートショートの「はしり」ともある)。なぜこのボリュームの記事を書くことになったのかについての事情も序文に書かれてあり面白い。

すべてトイレ休憩で読める程度の物語だが、どれも適度な納得感、読了感がある。不思議とじんわりと頭に残る。ショートショートはほかに読んだ記憶がないが、おそらくこれはモームの手腕なんだろう。

この分量であれば、読書疲れしているときにも最適。本来はどこかに出かけてリフレッシュするのが吉だろうが、そうも言ってられない昨今、読書疲れは本でも癒やせることがわかったのは大きい。

舞台も様々。本国のイギリスはもちろん、ヨーロッパの他国から聞いたことのない島国。さらには京城まで出てきて驚いた。各地の情景がほどよいスパイスとなり、まったく飽きない。

これはとくだん旅の本ではないが、旅(あるいは読書)というものが、よりよく生きるため、より自分に合った生き方を見つける上で大切だということがよくわかる。ほかの感想を見ても、旅に最適の本とある。なるほど、たしかにその通りだと思ったが、それと同時に、旅に行けないときにも手元に用意しておきたい1冊だと思う。トイレ休憩の時間があれば読める物語だけだから、いつでも安心して読み始められる。もちろん、私のようにトイレ休憩が長くなって、家族に早く出るようせっつかれることになる危険性はあるが、これは本書に限った話でもない。 

Cosmopolitans (English Edition)

Cosmopolitans (English Edition)