ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

井伏鱒二『黒い雨』

おおい、ムクリコクリの雲、もう往んでくれえ、わしらあ非戦闘員じゃあ。おおい、もう往んでくれえ

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毎年この時期には太平洋戦争関連の本を読んでいる。今年はコロナで頭がいっぱいだったのか、気がついたら8月6日を迎えていた。これはいかんと本棚を見たところ、自然と本作に目の焦点が合った。

学生時代に読んだはずだと思い、かれこれ20数年ぶりの再読かと読み始めたところ、まったく中身を覚えていない。どうやら勝手に読了と思い込んでいたらしい。先日ふと古本屋で見つけ、積んでおいたのだが、これが正解だった。

さて、原爆文学といえば誰もが思い浮かべるであろう本作。話は二つのタイムラインをそって進む。敗戦数年後、なんとかある程度落ち着いた生活を過ごしている、どこにでもいそうな善良な夫婦と、共に暮らす姪。それと並行して、日記という形で語られる、数年前の広島での被爆前後の話。前半は日記を通して原爆の日、8月6日を中心とした話で主に進み、後半になると「今」の物語が一気に進む。そして同時に日記も敗戦の日へと続く。

広島の原爆体験と一般市民の生活、そしてその苦しみと死を描いている以上、楽しい読書体験にはなりえないが、しかし文字を追うことを止められない。日記という形式もあって、難しい表現もない。方言も生き生きと聞こえる。あくまで広島の人々が語る物語であり、老若男女問わず誰でも読める作品だろう。

わしらは、国家のない国に生まれたかったのう

また、地味ではあるが、最後の玉音放送のシーンや養魚池での祈り、風景として強く残る。井伏鱒二というと、ほかには『山椒魚』という作品があったと思うが、純粋に魚が好きだったのだろうか。

それにしても、原爆とはいかに恐ろしいものか。日本に生まれ、このような話にはある程度「慣れて」はいたと思うが、毎回暗澹たる気分になる。本作では、原爆の爆風などで即死に近い形で亡くなった人々はもちろん、その後の「黒い雨」に打たれて病んでいく姿など、原爆の暗さがよく出ている。

しかし、このような作品をどれほど読んで学び、想像力を働かせたとしても、そこには限界がある。井伏鱒二も主人公の口を借りてこう言っている。

しかし、自分で見たことの千分の一も、本当のことが書けとらん。文章というものは難しいもんじゃ

できるだけ多くの声を聞き、読み、想像し、伝え、忘れないことだけしかできない。まさに文学の意味がここにあると思う。

ただ耳鳴りは日夜ひっきりなしに遠寺の鐘のように鳴りつづけ、私自身にはそれが原爆禁止を訴える警鐘に聞き取れる

ちなみに、本作に出てくる日記だが、ベースとなった日記が実際に存在し、なんと現在『重松日記』という名前で出版されている。本作と比較しながら今度ぜひ読んでみたい。 

重松日記

重松日記

  • 作者:重松 静馬
  • 発売日: 2001/05/01
  • メディア: 単行本
 
黒い雨(新潮文庫)

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