中島岳志『保守と立憲』
中島さんのことを知ったのは、NHKの100分de名著 オルテガ「大衆の反逆」。そこで語られたリベラル保守、死者と共に生きるという考え方に惹かれ、図書館で見つけた本書を手に取った。
様々な媒体に掲載された評論・論考を集めた本書。章立てられてはいるが、バラバラ感は拭えない。
肝となる部分は、100分de名著で語られたこととほぼ同様。どれも短めの論考ということもあり、思ったほど深くは理解が進まなかった。オルテガなど、ほかの書籍を当たった方がよいかもしれない。
3章では、立憲民主の枝野さんとの対談もあった。枝野さんは数年前の選挙でも「リベラル保守」を名乗っていたし、中島さんとは親和性が高いのは予想通りだが、とにかくボリュームが寂しい。
役立ちそうな考え方としては、こちらのリベラル - パターナル、リスクの社会化 - 個人化を図式化した図。リベラルと保守は対立軸として取られがちだが、この図でいくとリベラルは左側、保守は(ここにあえて入れるならだが)上側に該当する。リベラルの対立軸は権威主義的・父権制的な「パターナル」であると。
中島さん曰く、保守とは、これまで歴史的に積み重ねてきた先人の英知を大切にしながら、人間の理性を懐疑的に捉え、永遠に「微調整」する姿勢である。人間の理性が絶対になりうると考え、急激に変えてしまうことに「ノー」と言う。そこに、他者を理解し受け入れるという「寛容」的なリベラルな姿勢が足されると「リベラル保守」となる。相手との対話を通じて、少しずつ世の中をよくしていこう。こういうことだろう。
個人的には、人間の理性を懐疑的に捉えるというところが響いた。至極まっとうな考え方だと思う。
ソフトウェアのアップデートを考えるとわかりやすい。大きな変更がなされるメジャーアップデートにより、ソフトウェアの外観や機能が大きく変わると、従来のユーザーがよく文句を言う。
「前の方が使いやすかった」
「便利だったのになぜ変えた」
「改悪だ」
もちろん開発者はよかれと思って(他意が含まれる場合もあるが)行っているのだが、大きな改変が逆効果となることも多い。
これで完成だというソフトウェアも存在しない。基盤となるOSやプラットフォームは時間と共に更新され、ソフトウェアやデバイスの使い方も変わる。ソフトウェアには必ずバグが存在する。常に修正・更新は必要だが、大きく変えるときは気をつけなければならない。開発者も自分の理性を疑うべきなのかもしれない。ソフトウェア開発の思想にも対立軸などあるのだろうか。
NTT出版による出版中止騒動(P143)も少し触れられていたが、これも興味深い。確か昨年頃も幻冬舎が炎上していたが、基本的な問題は同じだろう。幻冬舎の時のように声が上がってないだけで、どれほどの声が抑圧されているのか。なんとも暗い気持ちになった。