ハト場日記

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司馬遼太郎『新装版 翔ぶが如く』全10巻

今年の春頃から読み始めていた司馬遼太郎の『翔ぶが如く』全10巻、ついに読了。10冊ともなれば巨大長編ということになるが、Kindleの、しかも合本版だったので、「これを全部読んだのかー!」と目の前に全巻積み上げて、感慨深げに振り返ることができないのが少し残念で。そんな読者の気持ちを静めるためだろうか、Kindleの合本版の表紙には10冊の文庫が積まれている写真があって、ちょっと面白い。

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主役は西郷隆盛大久保利通だと思い読み始めた本作だったが、読んでみるとそういうわけでもなく、全巻通して主役といえる人物はおらず、どちらかというと時代そのものが主役だったと言える。実際に途中は西郷はあまり話に出てこない(鹿児島で半隠居状態)。大久保利通もどこか脇役的だし、川路利良にしろ木戸孝允にしろ、一時的にスポットライトが当たる程度だった。その分、登場人物が多いのなんの。西郷と大久保の2名の存在感はやはり相当な物だったろうが、彼らだけの動きでこの時代は見えないということだろう。

それにしても、結局のところ、西郷隆盛とは何だったのか。この本を読み終えて妻に伝えたら、「結局西郷さんはどんな人だったの?」と聞かれ、回答に困った。司馬遼太郎本人も言っているとおり、特に維新後、西南戦争までの西郷の思考はよくわからない。最後の西南戦争にしても、相当子供じみた喧嘩のふっかけかたで(といっても彼が始めたわけではないが)、かつ、下手くそな戦い方だったようだ。そこには桐野利秋という、またこの時代を象徴する人物の、ある種暴走、ある種彼らしい生き方(「ラストサムライ」という肩書きが似合うのは彼だろう)、が影響してくるのだが、西郷はあまりにも無責任に見えるし、ただただ、薩摩の士族が抱える巨大な不満をどう収めるか、これに終始していたように見える。征韓論しかり、最後の西南戦争しかり。

感情的には西郷派になる雰囲気も少しは分かった。とはいえ、本当のところは、西郷本人に会わないと彼の「すごさ」はわからないのだろうが、あれだけの人望を集めたのだから、何か妙な、神がかった人格があったのだろう。一方で大久保利通については、感情的にという点では、特に西南戦争の発端となった西郷暗殺の動き(の可能性)にも一枚かんでいたとすると、なおさら冷たく感じる。数年前に鹿児島に旅行に行ったとき、ボランティアのガイドさんと西郷隆盛の話になった。この時代でも(仕事柄もあるだろうが)現地での西郷人気は相当だと感じたが、大久保利通の話をふったら一気に熱が冷め「あの人は冷たい」とぴしゃり。その一方で、冷静に新しい政府・国作りをしようとしたとき、司馬遼太郎曰く将来の青写真を持ち合わせていなかった西郷隆盛ではなく、大久保利通が政権を握ったというのは自然な成り行きだろう(西郷本人もそう思っていたに違いないが)。

本作を読んで新たに魅力を感じたのが木戸孝允。なんだか粘着的な性格だったようで、西郷のような歴史上稀に見る人格者でも、大久保利通のような最強の実務者でもない、時代を動かすというよりかは批評家的な、鬱屈とした精神を持ち合わせた暗い性格の人物として描写されていたが、思想的には相当時代を先駆けていたと思うし、彼が病魔に倒れなかったら歴史はどうなっていただろうと想像せずにはいられない(大久保のように暗殺されていた可能性も高そうだが)。彼が主役の歴史小説はないのかと調べてはみたが、意外と少ないのに驚いた。大久保もそうだが、やはりエンターテインメントとしては面白みに欠けるのかもしれない。

司馬遼太郎の語りも相変わらず楽しかった。今回も余談は多めだが、なんだか歴史に詳しいおじいさんの話を聞いているような、あの相変わらずの優しい雰囲気。司馬さんの本は寝る前に布団の中で読むのがやはり最高。うとうとしながら、でももっと話を聞きたい。そんな気持ちにさせてくれる。

さて、次は何を読むか。司馬遼太郎作品はかなり積読しているから選ぶのが大変だけど、しばらく司馬作品はお休みかな。来年に入ったら最近よく目にする『峠』を読もうかと思う。