ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

『一汁一菜でよいという提案』土井善晴

「食べること」について考えることが多くなった。

きっかけは先日読んだ食欲に関する本。それからアナーキズムの本。自分が日々食べているもの・ことについて、自分なりに考えるきっかけになり、また食品業界に対する怒りもふつふつと沸いてきている。

そこで手に取ったのが本書『一汁一菜でよいという提案』。

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本書で取り上げている一汁一菜と言う言葉は、実は少し前から知っていた。知っていたというのは嘘で、聞いたことがあった。それにもかかわらず「知っていた」ような気になっていたのは、やはりその考えのシンプルさ故だろう。「一汁一菜でよい」と言われただけで、ぼんやりとながらどういう食生活を言っているのか、日本語を理解する人には伝わるだろうし、それが意味する一種の開放感も予測できる。

土井善晴さんという人については、以前はよく知らなかったが、その名前は政治学者の中島さんのTwitterで最近よく見かけるようになっていた。一汁一菜というキーワードを目にしたのもそこだろう。顔には見覚えがあったので、昔からテレビによく出ていた人なのだと思う。

タイトルだけでだいたい内容がわかったと読者から反応があったと、文庫本のあとがきにあった。概ねその通りである一方、実際に読んでみるとそれよりももっと深いことが書かれている。しかし、解説で養老先生が言っているように、語り口がすっきりとしていて、簡潔で、読む・考えることの疲れは感じない。自然にそうなっているのだろうが、結果として万人に勧められる本となっている。

肝となる「一汁一菜でよい」という提案とその実践方法は全体の半分くらい。残りは、和食についてであったり、日本に暮らしてきた人々の食生活についての一種の思想が語られている。一汁一菜については納得しかないし、学んだことは多い。個人的にも今後の暮らし方のベースとなるような気がしている一方で、残りの思想の部分は非常に限定された世界の話のように聞こえた。和食を背景としているので日本での暮らしがベースとなるのは当然なのだが、なんだか「やっぱりすごい、日本人」みたいな安易なノリに利用されそうな雰囲気もある。個人的には、お隣の韓国の食事に関心があり、韓国の食事・食生活とも比較しながら読んでいたが、共通点のありそうなところも所々あった。当然、これは違うなと思うところも。ヨーロッパの食文化や、気候がまったくことなる、例えば砂漠地帯の人々の食文化などはまったく知らないのだが、そのような幅広い、様々な文化を見渡した上で、食べることをどう考えればよいのか、知見が得られたらもっといいのに、と思わなくもないが、本書にそれを求めるのも違うだろう。

コロナ禍で気付かされたことも多かった。わざわざ通勤電車に詰め込まれて会社まで通わなくても在宅で済む仕事も中にはあったこと。エッセンシャルワーカーと呼ばれる人々の大切さ。経済活動がある程度止まっても、世界は崩壊しなかったこと。環境的にはむしろよかったこと。ほかにもたくさんあるだろうが、自宅でちゃんと食べることの大切さを考え始めた人も多いはずだ。宅配ビジネスの利用が広がったことはよく取り上げられるが、正しい食生活を考えるいいきっかけにもなっただろうし、最近土井善晴さん(これからは先生と呼びたい)の名前をよく見かけるようになったのも(つい先日もある書店で大々的に特集が組まれていた)、そういう背景があるのだろう。

土井先生については、今後の活動も楽しみだ。政治学者の中島さん経由で知ったこともあり、各方面に非常にオープンな方のようである。そのようなつながりや対話を通じて、また新しい知見や「提案」があるのではないかと期待してしまう。一汁一菜でよいのではないかという本書の「結論」は変わらないだろうが、まさに和食の世界について土井先生自ら語っていたように、その思想はさらに「深化」していくのだろう。