ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

ハインライン『夏への扉』

私たち人間が進むべき理想的な社会とは何か。そのヒントのようなアイデアはSF作品で見つかるのではないかと最近ふと思い、著名な作品を読んでみようと手に取った。

その一冊目が本書『夏への扉』。アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインの代表作のようだが、特に日本で人気とのこと。実際に去年には日本で映画化されている。

前知識なしで読み始めたが、とにかく読みやすい。その読みやすさから比較的最近の作品なのかと思って調べると、なんと1956年の作品。そうか、よくできた新訳なのかと思ったら、1958年に訳されたものをベースに訳語や表現を「アップデート」した新版とのことで、また驚いた。海外文学の古い訳文に感じるある種の古さがいっさい感じられない。これはSF作品の特徴なのか、あるいは「格調」を重んじる文学作品との違いなのか。ほかのSF作品を読んでいくとわかるのかもしれない。

本書は近未来を描いた作品で、いわゆるタイムトラベルものの代表作になるのだろう。世代的になのか、単にSF小説に慣れていないからなのか、どうしても映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が頭によぎるが、制作年からすれば当然、本書はマーティとドクの冒険のネタ元、とまで言わなくても、インスピレーションとはなったはず。あのトリロジーの要素はすべてここに詰まっていたといっても過言ではない。あとがきを読むと、ほかにもさらにこんがらがったタイムパラドックス作品があるようで、これからも楽しみ。

全体を通して、特にエンディングに向かって、テーマは明るく、「テクノロジーはよいものだ」という思想があるように見えた。ハイライン氏がそうだったのか、あるいは単にこの作品でのことなのかわからない。どちらかというとユートピアものなのだろうか。だが、具体的なユートピア社会像は見えず、あくまで背景程度に抑えられていたので、自分の本来の目的は満たされずに終わったが、そんなことはどうでもよいくらい楽しめた。

物語の展開がとにかく気持ちがよい。ミステリー要素というか、伏線の回収が見事。どちらかというと「びっくり」な展開ではなく、徐々に「ああ、あれはそうなるのか!」と適度に気付かせてくれて、後半は主人公と一緒に、まさに明るい夏の扉へと向かっていく気持ちのよさがあった。小説としても非常に優れているし、繰り返しになるがこれほど古い小説とは信じがたい。

最後のボーイミーツガールの要素は、今の時代からなのか、あるいはSFに慣れていないだけなのかわからないが、若干ぞわっとしたのだが、よく考えれば『バック・トゥ・ザ・フューチャー』もそうだった。パート1で過去にタイムトラベルした後のマーティと母親のドタバタは有名だが、実はもっとぞわっとしてもいいのがパート3にあったドクとクララの関係。映画内でも身体的な年齢差はあったのだが、生まれた時代を考えると、本当の「年齢」差はいったいどのくらいあったのか!それを考えれば、本書の年齢差など取るに足らない。そういったSF的な概念が鍛えられる、入門編としてもよかったのかもしれない。

それにしても、時間旅行がもし可能だとすれば、人間社会の倫理など、いとも簡単に崩壊してしまうのだろうか。倫理観というのは、あくまで私たちの現在の認識レベルをベースにした概念に過ぎない。そうなら、今の社会では倫理的にNGだとされ、感情的に「ぞわっと」することでも、それは私たちの思考が遅れているだけなのか。ならば崩壊というのは正しくなくて、それは進歩なのかもしれない。

進歩だと言っても、私たち人間の感情はその速度についていけるのだろうか。スマホの使い方に慣れるといったことでは済まない。私たちの倫理すら問われる未来が待っているのだろうか。テクノロジーが指数関数的に進化するものだとすると、ここに危うさがありそうだ。テクノロジー自体は進歩できても、人間の思考がついていけない可能性は大いにありそうだ。

そもそも、原子力の力を得た段階で、私たち人類はそれに見合った倫理観を持っていなかったように思える。急速に追いつこうとしたが、それには多大なる犠牲が伴った。今後テクノロジーの進化が加速化する未来では、このようなギャップが広まっていくのだろう。

テクノロジーにとって未来は明るくても、人類にとってそれは暗黒の未来なのかもしれない。