ハト場日記

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映画『ワンドゥギ』|弱者が強く生きられる社会、そして「寛容」とは

いい映画だ。キム・ユンソク主演の割には、とても平和な映画。ほっこりとするホームドラマと言えようか。だが今は2021年10月。この映画を観た僕は、怒りに震えている。ウィシュマさんのことを思い、どうしようもない怒りに震えている。

弱者の扱いが酷いのは、韓国も日本もあまり変わらない。韓国でも、この映画に出てくる外国人、特に不法在留者を酷使する人間がいるのはニュースで聞いたことがあった。そして日本でも、ここ数年入管での事件が続き、今まさにウィシュマさんの事件が最近大きく取り上げられているところ。

この映画でも、全体を覆う幸せな雰囲気を引っぺがすと、そこには韓国の暗い側面が見える。ただ、すべてが悪い方向に行きがちな韓国映画(たまたま自分がそういう映画を観ているだけかもしれないが)と異なり、ほぼすべていい方向へと向かう。

キム・ユンソクが演じる教師。一見ぶっきらぼうな暴力教師に見えるが、実はインテリな面があり(マルクスの授業は意図的なものだろう)、弱者の味方として動いてる。真逆の思想で私腹を肥やす父親の描写もあった。あれは悪に悪が続く必要はない。次の世代は変われる、というメッセージと思う。また超人的なヒーローではなく、あくまで純粋な市民であることを表現したいのだろう、彼の大人の恋の物語。また生徒との接し方もぶっきらぼうだが、彼なりの愛情にあふれている。

ワンドゥクの父、そして「叔父」も体に障害を抱えた弱者。また隣人のおじさんも、社会的には弱者の部類だろう。そもそも住んでいる地域がそうか。しかし、ここ全体に流れる平和な空気。いつもお互いに罵り合う間柄なのだが、うまく連帯が生まれている。

「寛容」とはなんだろう。僕は、教師ドンジュが隣人のおじさんに見せた姿だと思う。あれだけ普段罵り合う間柄であり、ワンドゥクの父とは警察を呼ぶ騒ぎまで発展しながら、最終的には和解し、その後も罵りながらも共存して生きている。私たちは「他者」のラベルを安易に貼りすぎではないか。人間なんだから違っていて当たり前。気に食わないことがあっても当然。それを超えて互いに理解しようとつとめ、罵り合ってでもいいから、ときには肩を組んで共に歩んでいく。排外主義の蔓延が止まらない現在の世界には、一粒の清涼剤のような映画だと思う。ああ、なんとありきたりな表現。。

そしてウィシュマさん。今回の事件はとにかく許せない。まったく手を抜くことなく、責任を明らかにせねばならない。甲本ヒロトが歌った「弱い者たちが、さらに弱い者をたたく」という螺旋。私たちに必要なのは圧倒的な「寛容」。螺旋を逆転することはできるはずだ。

ワンドゥギ(字幕版)

ワンドゥギ(字幕版)

  • キム・ユンソク
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