ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

ジョゼ・エドゥアルド・アグアルーザ『忘却についての一般論』

人間とはどんな場合でも一人だけでは生きていけない。

ここに他者との関係を完全に断ち切った一人の女性がいた。自分が住むマンションの入り口にセメントの壁を作り、その後30年もその空間だけで自給自足の生活を送った。部屋の外では内戦が続くアンゴラという国。そんな時代でも彼女の生活は静かに過ぎていった。当然ユートピアでもなんでもなく、飢えと隣り合わせの生活。わずかの食物を育て、鳩をつかまえ、調理するには読み終わった本を燃やして燃料にする必要があった。

なぜそのような生活を送ったのか。なぜ世界を恐れるようになったのか。救済は訪れるのか。それが最後に明かされる。

本作の主人公は彼女だけではない。秘密警察から、傭兵、政治犯から成り上がったもの、道ばたで悪事に手を染めながらの生活を余儀なくされるストリートチルドレン、そして伝書鳩。敵対する関係もありながら、不思議と相互が関係しながら、運命が作られていく。

章立ても細かく、話は行ったり来たりと忙しいが、各登場人物の生き様を鳥瞰的に見ながら、徐々に互いの関係が見えてきて、すべてがある1つのシーンに収束する。見事としか言い様がない。

ありとあらゆる伏線も拾われ、スリラーを読んでいるときのような快感もある。意地悪に見れば単なるご都合主義的なんだが、冒頭にこれは「純然たるフィクションである」と但し書きがあるのだから、それも許そうではないか。いや、この出来すぎた物語というのが、混乱が続いたアンゴラの情勢と対比となり、ある種の清々しさを生み出している。

神は人々の魂を天秤にかける。片方の皿には魂を載せ、もう片方の皿には、流された涙を載せるのだ。泣く者がだれもいなければ、その魂は下に落ちて地獄へと向かう。涙と悲嘆が充分にあれば、天へと昇っていく。

忘れられるというのは悲しいことだ。自分がいなくなったとき、だれが泣いてくれるのだろうか。それは意外な人かもしれない。逆に、だれからも忘れられたいという者もいる。ただ、本当に誰からも忘れられるというのはできるのだろうか。人の子として生まれた以上、そして現代の社会で生きていく以上、何らかのつながりはあるはずで、それが思ってもみないつながりかもしれない。

人というのは1人の個人だが、私たちはあくまで集団としてこの世に存在する。その関係なくしては、人とはどういうことなのか見えなくなる。