ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

よし君の話

いとこのよし君が亡くなった。

よし君に最後に会ったのは小学校低学年の頃。あの頃は夏休みによく一緒に遊んだ記憶があるが、それ以降は会う機会がなくなった。引きこもりがちだとか、鬱になったとかいう話は聞いていた。親戚一同の集まりにもめっきり顔を出さなくなった。その後学校を卒業した後も仕事が見つからず、親の手伝いをしたり、最近もアルバイトを少しやりながら両親と暮らしていたという。

その彼が、数日前に急に亡くなった。両親が朝、彼の部屋に行くと倒れていたという。脳の病気という話だ。その後入院したが、意識が戻ることなく3日後に亡くなった。

確か1歳年上だと覚えていたが、聞くと自分と同じ年だったという。

顔もはっきり思い出せないのだが、よし君のことは不思議とよく覚えている。親や親戚などに言わせると、彼は虚弱気味で食も細く、つらい人生を過ごしていたと。

ただ、僕の覚えている彼は少し違う。確かに痩せ体型ではあったが、よく冗談を言う面白い子だった。会っていたのは小学校低学年の頃までだと思うが、あの頃に大爆笑した思い出というと、いつも彼を思い出す。

そう、祖母の家に遊びに行き、あのアパートの建物にある階段付近でよく遊んでいた。彼は自分の学校の友達の話を面白おかしく話し、僕はお腹を抱えてよく笑っていた。自分もあんなにおもしろおかしく話しができるようになりたいと願っていた。そうだ、一緒にゲームボーイで遊んだ記憶もある。ということは、小学校高学年までは会っていたのか。やはり、よくしゃべる、面白い子の記憶しかない。

ロストジェネレーション世代という言葉がある。僕もよし君もその世代だ。今思うと、よし君と僕とは実はよく似ていた。彼ほどの話術は持ち合わせていないが、ただその後の人生を想像しながら思うと、どこかシンクロする。

彼は引きこもりがちだったり、鬱っぽかったりという。自分も若い頃からあがり症や対人恐怖症に悩まされており、内向的な生活を送っていた。自分の場合はたまたま外国語を学ぶチャンスがあり、今はそれでなんとか食べているが、これも単なるタイミングや運がよかっただけで、それがなければ、あの就職氷河期に仕事を見つけることもできず、より内向的な生活を過ごし、今のようには生活できていなかったかもしれない。

世の中は不公平だ。

そんなことはわかっていた。でも、よし君を思うと、悔しくてたまらない。

なんて不公平な世界だ。たまたま生まれ持った性格や境遇だけなのに。

いや、世界にはよし君よりも理不尽な生活を強制されている人も多いのはわかっている。事故や災害で理不尽に人生が終わることだってあるだろう。

世の中は理不尽だし、不公平だし、不条理だ。

よし君は不幸だったのだろうか。会わなくなってから、どんな人生だったのだろう。

この年齢になれば、配偶者がいて、子供がいて、自由に使えるお金があって、週末が楽しみで、次の旅行計画が楽しみで、好きな人々と食べるご飯が美味しくて、そんなことが当たり前だと思っていた。

こんなブログを書いたところで、この脱力感は消えないし、不公平だと叫びたい衝動も収まらない。しかし、何度も言うが、世の中は不公平だ。この世に生まれてから40数年間、幸せを感じることができた時間はどのくらいあったのだろうか。死によって安らぎは得られたのだろうか。

そういえばこの前、頑張れない人にも優しい世の中に、という言葉を耳にした。まさにそれなんだ。頑張れないというのは、頑張らないことじゃない。みんな苦労してんだ、なんて軽々しく言わないでほしい。頑張れないつらさを知らないだけだろう。

世界は不公平だ。