ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

韓国映画『サスペクト 哀しき容疑者』

韓国お得意の北朝鮮がらみのスパイ映画。主演はコン・ユ。寡黙なキャラクターがよく似合っていた。バッキバキのボディにファンは唸ったことだろう。

韓国版のボーンアイデンティティー、あるいはグラディエーターか。一瞬、グッドウィルハンティングを思い起こすシーンもあったが、あれがオマージュなのかどうかわからない。たぶん勝手な思い込み。

北朝鮮スパイの悲しみ、韓国社会の権力闘争、権力欲、別に真新しいものではない。ありがちな内容ではあるが、ある意味期待を裏切らない。期待通りに楽しめる。思えば、このような内容があるあるネタになってしまうところに、南北分断の悲しみがあるのかもしれない。

2014年製作。コン・ユといえば『新感染』や『トッケビ』だが、それよりも前の作品。Wikiによると早くからドラマで有名になったらしいので、最近売れた俳優というのは僕の勝手な思い込みだったようだ。そもそも人気がなければ『新感染』や『トッケビ』の主演にもなっていない。

今回の脇役陣も輝いていた。パク・ヒスンは今回もはまり役。悪役で登場したチョ・ソンハも気持ち悪いくらいはまっていた。権力狂いというか、韓国映画に出てくる権力者はどいつもこいつも気持ち悪くて素晴らしい。

 

韓国ドラマ『ある日~真実のベール』

韓国の裁判・刑務所クライムサスペンスドラマ。

小さな過ちから大きな過ちへとつながり、殺人現場に居合わせてしまった大学生キム・ヒョンスと、彼の弁護士となり彼を弁護しながら真実を追う弁護士シン・ジュンハン。容疑者と弁護士という関係ながらも、あくまでそれぞれの環境で、それぞれの問題を抱えながら前に進もうとする二人の姿が描かれている。

全8回と見やすいボリュームだが、描写不足は否めない。刑務所の兄貴役のバックストーリーをもっと知りたかったし、検察と警察が見せる強い意志の背景も結局何も無かった感があってがっかり。主人公ヒョンスの変貌もあまりに急だったように思えたが、意外と人間の精神というのはこのように一瞬で壊れてしまうものなのかもしれない。

 

映画『共犯者たち』

まだ記憶に新しい朴槿恵退陣とろうそく革命。先日の知床観光船の沈没でセウォル号沈没のときの記憶を揺さぶられた人も多いだろう。その後の文在寅政権も終わり、つい先日新しい大統領として尹錫悦氏が就任した。左派政権からまた保守政権へと戻ったわけだ。

尹錫悦大統領についてはすでにいい話を聞かないのだが、しばらくどう進めていくのか注目。しかし、やはり李明博朴槿恵政権で続いていた言論封鎖の傾向に戻ってしまうのだろうかと不安ではある。

そういえばそんなテーマの映画があったなあと思い出して観たのが本作『共犯者たち』。日本でもたしか上映されていて、行こう行こうと思っているうちに上映終了していた。いつもの流れである。

www.kyohanspy.com

保守政権時代のマスコミ、特に公営放送のKBSとMBCの腐敗を暴いたドキュメンタリー映画で、監督は自身もMBCのPD(プロデューサー)であったチェ・スンホ。権力者、そしてそれに阿るメディアの上層部の暴挙が実際の映像や音声で暴かれている。対象は権力者だけでなく、その手下となって暗躍する「共犯者たち」である。権力の腐敗というのは、韓国映画で頻繁に取り上げられるが、そのようなフィクションの映画に負けない現実があった。

監督のチェ・スンホは映画公開後、文在寅政権時代にMBCに返り咲いている、だけでなく、なんと社長を就任していた。この映画はやはり韓国内では相当の影響があったのだろう。就任後には不当に解雇された人々の再雇用など、再建に取り組んだとされているが、日本語の情報では詳細はわからなかった。

さて、再び保守政権に戻ったわけだが、今後どうなるのだろうか。尹錫悦大統領就任演説に参席していた朴槿恵の姿がとても象徴的にも思えた。どれだけKBSやMBCは「まともな」状態に戻ったのだろうか。

 

韓国映画『空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜』

韓国(朝鮮民族)の詩人、尹東柱の生涯を描いた韓国の伝記映画。2015年製作。カン・ハヌル、パク・チョンミン出演。

尹東柱の詩集を数年前に手に入れ、何度か手に取って読んではいるが、やはりまだ詩は慣れないこともあり、まだすべては読んでいない。しかし、比較的平易な表現で、また当時の彼の状況を想像しながら読むと、相当堪える。日本人としてなのか、一人の人間としてなのか。恐らくその両方だろうか。

尹東柱の生涯についてはWikipediaしか読んでいなく、彼の生涯を扱った映画があると聞いてずっと観たいと思っていた。残念ながら近所のレンタルストアでは扱いがなく、配信サービスでもあまり取り扱いがなかったが、やっと先日見つけた。ありがとう、U-next。

尹東柱がどれほど抗日活動をしていたのかはよくわからない。おそらく関与したレベルは、この映画で描かれていたものに近いのだろう。強い反感を持ちながらも、本当の活動家にならなかったのだろう。それはきっと、彼には詩があったからだろう。詩人を自覚しながら、あのような時代にどのように生きるべきなのか。とても真摯な立場だったと思う。そう、真摯という表現が似合う。

映画の中で、従兄弟であり親友の宋夢奎が尹東柱の活動参加を妨げるようなシーンがあった。史実なのかわからないが、そう想像したくなる気持ちもわかる。恐らく、夢奎は自分の良心のようなもの、あるいはあるべき人間の姿を、東柱に託したのではないか。そう考えれば、やはり尹東柱が詩人であったことに大きな意味があったことがわかる。

 

空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜

『韓国の若者 なぜ彼らは就職・結婚・出産を諦めるのか』安宿緑

朝鮮半島にルーツを持つ著者が韓国の若者の声を聞き、「住みにくい」と言われる韓国の現状を伝えたルポ。コロナ直前頃に取材した内容が主なので、まだ情報の鮮度も高い。短いインタビューが多いが、それでも現在の生の声が聞けるのは貴重だ。テレビで見かける現地の街頭インタビューよりも多少は信頼がおける内容だと思う。コロナを経験した今、状況がよくなっているとは思えず、恐らく本書よりもさらに厳しい生活を強いられているのだろう。

それにしても、韓国については人並み以上には知っているつもりでいたが、実際は思っているよりもはるかに厳しい社会だ。物価レベルでは日本とそれほど変わらない印象だが、本書のインタビューに出てくる月給・年収の数値には驚いた。いや、日本も似たレベルだし、恐らく本書で感じる「ヤバさ」のいくらかは日本にも共通しているはず。それにしても、本書にも取り上げられていたが、日本で職を見つけようとしている韓国の若者も多く、日本の方がまだ若干の余裕というか、緩さはある。

今後韓国(そして日本)の若者はどう変わっていけばよいか。本書では最後に「成功者」の例を挙げていたが、そこに希望はないだろう。どの時代だって成功するのはほんの一部。では革命か?いや、恐らく、多様化する生き方・暮らし方を広げていくべきなんだろう。と、日本人としてはそう感じるのだが、意外と過激な革命こそ解なのかもしれない。

隣国から学ぶべきことは多い。韓国での少子化が急激に進んでいるのは事実だが、あくまで程度の差であって、日本と韓国で抱えている問題に共通点は多い。政治家連中はどうかわからないが、どう考えても、市民レベルでは密に情報やアイデアを交換し、連携して未来に取り組む必要があるだろう。

映画『殺人者』マ・ドンソク|サイコパスをどう考えればよいか

これは駄目だ。思い出すことができないよう、できれば見た記憶を消したい。そんな技術が生まれるのをただただ待つのみだが、見てしまったからには、今後何度も思い出すことになりそうだ。久しぶりに見たことを後悔する映画だった。映画作品としては成功と言えるのかもしれないが。

マ・ドンソクといえば、人気が出てからは心温まる役柄が多い。怖い顔をして実はいい人みたいな役だ。そんな中、久しぶりにマ・ドンソクが悪役をやっていると聞き(実際は2014年制作なので、まだそれほど売れていない頃)見てみたが、これはまいった。76分程度と映画としては非常に短い作品なのだが、これ以上は見てられないというのが正直なところ。制作側も余計な説明は追加したくなかったのだろう。

見たことを少し後悔しているとはいえ、サイコパスとはどういう存在なのか、考えるいいきっかけにもなりうる。

サイコパスについて少し見方を変えたのは、以前あるポッドキャストを聞いてから。サイコパスとは何だろうかというのをあーだこーだ話し合う配信だったのだが、そこで「未来はサイコパスというのは病気として扱われ、サイコパスが犯した犯罪の扱いも変わる」だろうという話があった。サイコパスというのは比較的身近にも存在している。政治家にはその特性を持つ人が非常に多いとされている、などなど。

この作品ではサイコパスの「悲しさ」のようなものが描かれていた。短時間に息子があれほど化けてしまうのは、遺伝の影響を示唆しているのだろう。「血は争えない」という言葉も出てきた。私たちは環境による影響も大きく受ける。遺伝子の影響は設計図のようなもので、実際にそれがどのように人格として「実装」されるかは、教育や生活環境が大いに影響する。

ここで問題は、サイコパスに分類されるあの強い衝動のようなものは、どれほど濃く受け継がれるのか。それは教育や環境でどこまで「上書き」できるものなのか。教育の影響で伝わったであろう、あのいじめっ子役の悪さとは次元が違う。

古い村社会では、きっとああいったサイコパス的衝動を持つ人間は、村八分にされ、「排除」されたのだろう。現代社会ではそれはしないが、法を犯した場合、よほど精神状態がおかしくなければ断頭台にだって送っている。

しかし、である。サイコパス的衝動を抑えきれない場合、それは罪になるのだろうか。それを「正常な」人々が裁く権利はあるのだろうか。

今後いつになるかわからないが、犯罪者やサイコパス的衝動を持った人々については、裁くのではなく、隔離する方向に進む気がしている。恐らく遺伝子学などがさらに進めば、このような人々に犯罪を犯すよう促す衝動のようなものは、個人の自由意志ではなんともならないものだとわかるかもしれない。そうなれば、「あなたは悪いことをしたから死刑だ」と言うことはできなくなる。残る方法は社会を完全に分離するしかないのだろうか。だからといって被害者の悲しみ、痛みは消えないのだが。しかし犯罪者を断頭台に送ったところで、そこにはむなしさしか待っていないような気もするのだが。

殺人者(字幕版)

殺人者(字幕版)

  • マ・ドンソク
Amazon

ファン・ジョンウン『ディディの傘』|もし自分にも小説を書けたとしたら

韓国の小説家ファン・ジョンウンによる短編集。「d」「何も言う必要がない」の2作品収録。

f:id:yushinlee:20220227023538j:image

「d」

とにかく悲しい話。時代背景はセウォウル号の事故が起きた頃。あの頃の韓国社会というのはなんとも表現できない暗い時代だった。若い命が不条理な形で多数奪われ、国全体が大きな失意に包まれた。その後、その喪失感は大きな怒りと変わり、キャンドル革命へと続いているわけだが、この作品ではそのキャンドル革命直損頃までの雰囲気が描かれている。おそらく、韓国社会はいまだにあのセウォウル号の事故をちゃんとした形で整理できていない。キャンドル革命によって、その機会を失ってしまったような印象もある。社会全体が「なぜこんなことが」という漠然とした疑問と怒りを抱えたまま過ごしていたと思う。

この作品の中で少し不思議な話が出てくる。教室の中に落ちる雷。なぜか温かく感じるモノ。少しファンタジックな雰囲気は、韓国社会がなんとなく抱えていた、理解できない、納得できない世の中の不条理のようなもの、それを暗示しているのだろうか。

しかしだ。人々は何とかして前へ進まなければならない。かすかな、絆とまで呼べない弱いつながりでも、そこから少し光が見えることがある。それにすがるでもなく、ただ生きていく。

「何も言う必要がない」

ある同性カップルの物語。読みながら「彼」という言葉の使い方に唸っていたが、そのこだわりについても訳者あとがきにも説明があった。いや、見事。本を読むことは好きなのだが、自分には物語を書く能力はないと自覚している。それでも、死ぬまでには何か形にするべきではないかと思うことがたまにある。もし、本当に何か物語にすることができて、それが非常に高いレベルでできたとしたら、こんな小説になるのではないかと思った。少し輪郭がぼんやりとした物語。ときにはエッセイのようにも読める文章。またブックガイドとしての役割もある。そして紹介されている本を見ると、知っている、読んだことがある、また読もうとしていた本も多く、なんだか本当に自分が書いててもおかしくない感覚だ(当然文章は数千倍も酷いものになるだろうが)。これはまさに、読書の醍醐味。

先日読んだアナーキストの言葉を借りれば、本書は少し「ズレた」ラブストーリーとも言える。社会的少数者の生きにくさ。キャンドル革命という大きな流れと、そこでも取り残された人々。革命とはいったい何なのだろうか。それは派手な運動の中にはなく、日々の暮らしにこそあるのではないか。この物語でもそう感じた。一方で、現実の世界では何も変わっていないのかと絶望も感じるが、しかし人々のつながりはわずかだがある。そこにわずかながらも希望があるのではないか。それは「d」にも通じる共通のテーマなのだろう。

はじめて読む作家だが、もうすっかり虜になってしまった。自分の古い記憶にも残る雷の思い出。共感できるブックガイド。同世代の作家でこれほどしっくりくるのは、おそらくはじめて。この本に出会えたのがとてもうれしい。

今日はいい日だった。