ハト場日記

Working, Reading, and Wondering

韓国映画『サスペクト 哀しき容疑者』

韓国お得意の北朝鮮がらみのスパイ映画。主演はコン・ユ。寡黙なキャラクターがよく似合っていた。バッキバキのボディにファンは唸ったことだろう。

韓国版のボーンアイデンティティー、あるいはグラディエーターか。一瞬、グッドウィルハンティングを思い起こすシーンもあったが、あれがオマージュなのかどうかわからない。たぶん勝手な思い込み。

北朝鮮スパイの悲しみ、韓国社会の権力闘争、権力欲、別に真新しいものではない。ありがちな内容ではあるが、ある意味期待を裏切らない。期待通りに楽しめる。思えば、このような内容があるあるネタになってしまうところに、南北分断の悲しみがあるのかもしれない。

2014年製作。コン・ユといえば『新感染』や『トッケビ』だが、それよりも前の作品。Wikiによると早くからドラマで有名になったらしいので、最近売れた俳優というのは僕の勝手な思い込みだったようだ。そもそも人気がなければ『新感染』や『トッケビ』の主演にもなっていない。

今回の脇役陣も輝いていた。パク・ヒスンは今回もはまり役。悪役で登場したチョ・ソンハも気持ち悪いくらいはまっていた。権力狂いというか、韓国映画に出てくる権力者はどいつもこいつも気持ち悪くて素晴らしい。

 

『最後の付き人が見た 渥美清 最後の日々 「寅さん」一四年間の真実』篠原靖治

渥美清の最後の付き人が語る渥美清の思い出話。渥美清が亡くなるまで14年の間付き人を務めたそうだ。特に晩年の渥美清の姿が印象的。

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付き人といっても基本的には『男はつらいよ』の撮影現場が中心だったようだ。渥美清との関係性は兄貴と弟分、『男はつらいよ』でいうところの寅次郎と源ちゃんか、登か、ポンシュウ。あるいは満男との関係、おじさんと甥っ子といったところだったようで、著者から見た渥美清は常にかっこいい。渥美清も基本的には弱い部分を見せなかったのだろうと思う。小林信彦の『おかしな男』を思いだしながら読むとその違いが見えてきて興味深い。とはいえ、本当に最後の時期になると、少しだけ甘えることができた関係でもあったのだろう。その辺の関係性がよく見えてくる。

著者の語りもいい。おそらくあまり嘘がない人間なのだろう。生の声。倍賞千恵子の本も思い出してしまう。渥美清が愛したであろう理由が少しわかるような気がする。関係性でいうと、寅さんとポンシュウがやはり一番近いのかな。「ったく、本当にお前はしょうがないね」といいながらも、どうしても目をかけてしまうような。

渥美清と、後期にポンシュウ役で活躍した関敬六との実際の関係も興味深い。実際は関敬六が寅さんで、渥美清は御前様のような立場だったようで、なんだか笑ってしまった。

著者が目撃したという山田洋次との関係・場面も面白い。「あの人は、何食ってんのかね・・・」という話には笑ってしまうし、「米を斜めに・・・」という発想もさすがだ。いやはや、やはり渥美清という人間は発想が面白い。

でも今思えば、永六輔の言葉じゃないが、やはりどこかで誰かがタオルを投げるべきだったのだろうと思う。個人的にも満男が主役を肩代わりし始めた頃以降については、スピンオフのような感覚だし、これじゃないんだよな・・・という気はしてしまう。後知恵とはいえ、知床慕情か、寅次郎物語。あれが38と39作だから、あの頃に終われていれば(あるいは次の40作を最終作としてリリーを呼ぶなり有終の美を飾ることもできただろう)、渥美清にもあと10年近く残ることになるので、少しはゆっくりしながら、ほかの役にも(裏方に回ったとしても)挑戦できていたんじゃないかと思う。ひょっとすると、そのタオルを投げる役が、渥美清本人が病状を伝えた数少ない人間の一人であっただろう、この著者だったんじゃないかという気もする。

 

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『人間の絆』サマセット・モーム(新潮文庫)

この世に生まれて四十数年たち、人が生きることについて、自分なりにある種の答えというか、見方ができるようになった。それは自分の経験から来るもので、楽しかったことやつらかったこと、主に後者になるが、あくまで自分の半生から導き出したものだ。自分が経験してきた、非常に(平凡ながら)独特な体験や感情から見えてきたもの。そう、あくまで自分だけの「結論」だと思っていた。

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サマセット・モームの『人間の絆』を読みながらただただ驚いた。ここには自分のことが書かれている。状況はまったく違えど、ここの体験はまさに自分が四十数年生きてきた体験そのものだ、と。

著者本人による「序」(面白いことに最後に掲載されている)にはこうある。

『人間の絆』は自伝ではなく、自伝的小説であって、事実とフィクションが分かちがたく入り交じっている。ここに描かれた感情はわたしのものだが、実際の出来事がそのまま描かれているわけではなく・・・(後略)

ここに描かれた感情はあなただけのものではないぞ、とモーム氏に伝えたい。もうそれだけ。

いつの日か、宇宙人と話す機会があり、「人間というのはどういうものかね」と聞かれれば、迷わずこの本をすすめたい。少なくとも、僕が思うところの、一人の人間として生きること、それに関わる喜び、痛み、憤り、不安、あらゆる感情がほぼこの本に書かれている。

さて、今回読んだのは新訳として最近出版された新潮文庫版。訳文は新訳らしく読みやすく、とくに問題はなかったのだが、訳者あとがきにはこうあった。

高校の頃、中野好夫訳で読みながら、主人公のフィリップを、ほんとにいやなやつだなあと思ったのをよく覚えている。訳してみると印象が変わるのかと考えていたのだが、意外とそのままだった。

フィリップの行動には「あちゃー」と思うところは多かったが、「いやなやつ」という印象はなかった。全編を通して「自分を見るようで心が痛い」という感情が占めていた。なんだかこの訳者あとがきでは、個人的に攻撃されているようでつい笑ってしまった。もちろん訳者を責めているわけではなく、あくまで僕が描いてきた人生の「模様」が、この訳者のものとは相当違うということだろう。

いずれにしても、今度は別の訳で読んでみるか、原書に挑戦してみたい。

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韓国ドラマ『ある日~真実のベール』

韓国の裁判・刑務所クライムサスペンスドラマ。

小さな過ちから大きな過ちへとつながり、殺人現場に居合わせてしまった大学生キム・ヒョンスと、彼の弁護士となり彼を弁護しながら真実を追う弁護士シン・ジュンハン。容疑者と弁護士という関係ながらも、あくまでそれぞれの環境で、それぞれの問題を抱えながら前に進もうとする二人の姿が描かれている。

全8回と見やすいボリュームだが、描写不足は否めない。刑務所の兄貴役のバックストーリーをもっと知りたかったし、検察と警察が見せる強い意志の背景も結局何も無かった感があってがっかり。主人公ヒョンスの変貌もあまりに急だったように思えたが、意外と人間の精神というのはこのように一瞬で壊れてしまうものなのかもしれない。

 

『「日本の伝統」の正体』藤井 青銅

二礼二拍一礼というのがどうも苦手である。

神社巡りは人並み以上に好きで、国内旅行に出かければまず神社を調べる。別に信心深いというわけではなく、あくまで歴史的背景に興味があって回るのだ。しかし(神社から見ればはた迷惑なのだろうが)せっかく訪れたのに基本的にお参りもしない。説明看板にはすべて目を通し、気になったところはスマホにメモしたりその場でWikiで調べたりと、熱心な観光客ではあるのだが、やはりそこに神さまなるものがいるとは思えず、熱心な参拝者を横目に最後にはそそくさと帰ってしまう。

そんな僕でもちゃんとお参りすることがあるのだが、慣れていないこともあり、いつも二礼二拍一礼だったか、二拍二礼一拍だったか、わからなくなってしまう。周りに人がいるにも関わらず(どちらかと言えば周りに人がいるときに限って)間違えてしまい、最後にパンっと手を打って「なんか変だな・・・」と思いながら終わることもある。今考えれば、交代で2-2-1になるということだけ覚えておけば、最後に静かにお礼して終わるのだろうから、自然と「二礼二拍一礼」になるのだが。

いつだったか、いいかげんちゃんとやり方を覚えておこうとGoogle先生に聞いてみたことがある。そのときにわかったのが、二礼二拍一礼というのは意外と最近決まったやり方であること。最近と言っても明治時代なので古いと言えば古いのだが、ほとんどの神社は二礼二拍一礼の歴史よりも古いだろうから、やはり新しい作法だろうと言える。特に一桁世紀からあるような有名な神社の神さまなんかは、「最近はみんな変わった方法で拝みに来るわい」とでも不思議に思っているのかもしれない。

日本の伝統とか、日本では昔からどーのこーのとか、よく耳にするが、「昔から」っていうのは具体的にいつからを言っているんだい?という素朴な疑問に答えているのが本書。特に、実は歴史が浅いというものが中心に紹介されている。

個人的に思い入れの深い二礼二拍一礼もあれば、初詣、七五三、恵方巻き、正座、喪服、漬物、民謡、武士道など、意外と(想像していたよりも)歴史の浅いものもあった。一方で、外国語が起源のことわざがあったり、また日本初という説もあるマトリョーシカの話など、興味深い内容も多い。

歴史系トリビア本と言ってしまえばそれまでだが、「伝統」「昔ながら」という言葉に少しだけ疑いの目を向け「騙されないよう」気をつけようという気にはさせてくれた。

 

『アリエリー教授の人生相談室 行動経済学で解決する100の不合理』ダン・アリエリー

行動経済学の先生が人生に関する素朴な疑問に答えてくれるありがたい一冊。ボリュームは少なめ。著者は『予想どおりに不合理』で人気のダン・アリエリー。なんだか聞いたことのある話が多かったのは、たぶん『予想どおりに不合理』で紹介があった話だろうと思う。

残念だったのは、回答の背景になっている行動経済学が紹介がなかったこと。「主著のここに詳しく書かれているよ」とあれば、より理解を深められるだろうに、これはとにかく残念。またウィットに富んだ回答なのはいいが、行動経済学とは無関係な回答も少なくない。ただしこれは、自分の理解が追いついていないだけという可能性もある。

気軽に読める反面、行動経済学自体はあまり学べない。アリエリー氏の主著を読んだ後がいいのだろうが、それだと少し物足りない。むしろこちらが入門書なのかもしれない。

 

『広い宇宙に地球人しか見当たらない75の理由』スティーヴン・ウェッブ

旅行中に見つけた思い入れのある本。この本に出会ったのは10年近く前。アメリカ旅行中に立ち寄った公立図書館で、本書の原書である『Where is Everybody?』を見かけた。面白そうだとメモし、日本に戻ったら読もうと思い、まあ当然忘れてしまっていた。そして昨年頃、その新版が出ていて(アメリカで見かけたのは旧版で50の理由が書いてある版。新版は75に増えている)、さらにその日本語訳も出ていたことを知って、すぐに取り寄せた。そしてさらに積ん読で熟成させること約1年、ふと宇宙の話を聞きたくなって、手に取った。

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フェルミパラドックスがテーマの本書。フェルミの問いに対する答えが75つも収録されている。いわゆるLayman向けの、事前知識がいらないタイプの本ではあるが、75もの「解」が収録されているだけあって、その視点は多様で、やはりある程度の前知識がないと厳しい。個人的には半分もちゃんと理解できていない。

ja.wikipedia.org

それにしてもだ。75も解があれば、一つくらい「これだ!」というものに出会うかと思いきや、どれもそこそこ納得できるのだが、決定打に欠けている(あるいは難解すぎて、何を言っているのかよくわからない)。著者もいちいち疑問を投げかけているので、その影響も受けている。全体を通して面白く読んだが、結局自分なりの答えもなんだかまだぼんやりして、消化不足な感じも残った。著者のバイアスに乗っかってしまっている可能性も大。

「こんなに広い宇宙に、知的生命体が人類だけなんて、考えられない」

たしか映画『コンタクト』のエンディングでもジョディ・フォスターが似たようなことを言っていた。実際には、私たちには宇宙の実際の広さを想像することすら難しい。天文学者ならどうかわからないが、僕みたいな素人宇宙ファン程度には想像すら難しい。つい先日もNASAの新しい宇宙顕微鏡が撮影した遙か彼方の銀河の画像がニュースを賑わせた。あの驚くほど美しい写真。夜空のほんの一部にも、ちゃんと目を凝らせばあれだけの世界が存在している。そして実際にはまだまだ見えていない部分もある。360度あれだけの星、銀河があると思うと、まさに「頭がパンクしちゃう」のだ。恐怖すら感じてしまう。

しかし著者は、本人の説となる75個目の解で、「本当にそうだろうか」と問う。想像すらできないほど広い宇宙に我々しかいないとは考えられない、というのは、確かに直感的ではあるが、本当にそうなのか、と。これは面白い問いではある。

じゃあ、読者としてはどう思ったのかというと、繰り返しになるが、結局わからなかった。とにかく宇宙というのは、生命というのは、知性というのは、よくわからん。読めば読むほどわからなくなる。実際に、人類としてもよくわかっていないようだ。それこそSF作家が描いてきた想像力溢れる物語からも多く刺激を受け、これだけの「解」「説」が集められていて、人類の想像力の素晴らしさを感じられるべきなのかもしれないが、読み終わって残ったのは、(フェルミパラドックスについて言えば)結局私たちには何にもわかっていないじゃないかという感覚。

でも、それはがっかりしたということではなく、それでいいんだという気がしている。こんな感想では元も子もないのだが、結局私たちからは(少なくとも私が生きている間プラスα数百~数千年?)知ることはできないだろうということ。だから気長に連絡を待とう。そして想像し続けよう。別に急ぐことでもないはずだ。たぶん。